澄みきった青空。 気温は低めながら陽ざしがあり、車の中はポカポカ。 そろそろ、 紅葉が色どりを見せている頃と思い、紅葉山(もみじやま)へ。 | |
女神山トンネルを抜け、正面の山の上には、 飛行機雲が白く伸びて、 ススキは風に揺れて、光っています。 | |
紅葉山にて 朝日を浴びて、黄色 赤 緑が 青空へと続きます。 色があふれ、素敵な混じり具合。 | |
光を通すと、赤がさらに艶やか。 | |
移動し、赤泊の東光寺さん方面へ | |
大豆が、はざ木に干されて | |
温もりの色 | |
紅葉の絨毯 と 苔 | |
しら萩の はなはしろじろ 咲きみちて さわらぎやまず 月夜あかりに 忠治 「歌と評論」の 90 周年を記念し、 紅葉の下、あたたかい光の中に歌碑が一基。 お寺の一角に(令和元年建立)されていました。 昭和 4 年に、短歌の全国結社「歌と評論」を結成された 羽茂出身の藤川忠治さん。 | |
東光寺は、禅寺で 「禅達」という、佐渡貉(むじな)を守護生神として祀るお寺。 禅寺には、“座禅”や“問答”の修業がありますが、 見よう見まねで覚えた問答で、新参の住職に禅問答をしかける貉だったそう。 逸話として、禅達は、 和尚が火打ち石と火打ち金で、灯篭に火を灯したとき 「その火は、石から出た火か、金から出た火か」と問い詰めたそう‥ 和尚は、ならば問う 「禅達、そうゆうお前は父の子か、母の子か」と、返す。 禅達は答えに窮し、すごすごとその場を去って行った‥そうな。 もともとは、佐渡には狸は棲んでいなかったのですが、 相川が金銀山で繁栄した江戸時代、 精錬のために鞴(ふいご)が使われていました。 その鞴に、貉の皮が良いとされ、 越後の商人から “つがいの貉” が持ち込まれた由。 以来、佐渡に棲みついた狸は爆発的に増えました。 相川の親分格の狸が、団三郎。 徳和に棲みついたのが、禅達。 佐度では狸のことを、 親しみを込めて、ムジナとかトンチボと呼んでいます。 時々は、貉を山で見かけます。 畑の南瓜をかじったり、 柿の実を齧ったりと、悪さをしますが それ程のダメージはないようです。 「貉にやられた~。困ったもんだ」 お母さん方を、苦笑いさせます。 禅達の棲む東光寺さんは、 物語を知れば楽しいし、 知らないで訪れても、 紅葉を楽しめる静かなお寺です。 重複する部分もありますが、 以前に、東光寺を訪れたことがあり、 もみじの東光寺 | 佐渡の柿餅本舗 (sado-biyori.com) | |
東光寺さんのすぐ近くには 赤泊線のバス停 戦道(たたかいどう)があります。 戦道騎馬武者の像が。 「民話の里」の赤泊には、 民話の内容に沿った銅像が、地区内に幾つも設置されています。 | |
歴史的には、400年余り前の戦国時代の末期、 この場所が戦いの場となったことがあった‥そうです。 | |
紅葉山から海に沿って、移動。 | |
晩秋とは思えないくらいの、おだやかな日本海。 | |
遠くには、対岸の新潟の山脈が見えています。 | |
金北山の装いが、中腹まで華やかに見えております。 10月の末ですが、爽やかで晴れやかな陽ざしがあふれる日でした。 大佐渡スカイラインへ、紅葉がりに出掛けられた人も 多かったのではないでしょうか。 | |
先日、 JA佐度の <よらんか舎> に寄ったおり 駅弁フェアーを開催中でした。 各地の駅弁が集まり、人気です。 デパートの催事と違って、 お弁当を作るようすを実演で‥ とはなりませんが、毎回多くの種類を楽しめます。 | |
程よい酢加減と笹の香り、しっかり押しがきいた北陸の“ますのすし” と、焼き鯖寿しを、選びました。 関西系の寿司は 何故か、佐渡ではまだ馴染がうすいようです。 | |
お昼は、懐かしい駅弁にしましょ。 | |
いつ、食べても美味しいと思う 地域の食材を生かした、駅弁です。 今も、コロナ禍のせいで 何となく自粛が続いている佐渡です。 こうして、島外の食べものを楽しめる企画はとても嬉しい。 駅弁は昔からの、究極のテイクアウト食ですね。 美味しくいただきました(^^)/ | |
初霜の降りた朝でした。 キュンと冷え、草の上に霜が白く張りついていました。 | |
林檎の季節。 紅玉が、くだもの直売所に並んでいましたので、 最初はやっぱり、アップルパイに。 たっぷりの紅玉をスライスし、甘酸っぱいパイが出来上がり。 | |
次に、アイスクリームに紅玉のペーストを添えて。 酸味が魅力の紅玉なので、甘さ控えめに。 刻んで煮詰めただけのジャム。 紅白のデザートは、 カロリー高めですが、誘惑には勝てません(^O^) | |
紅玉の皮も入れて煮ましたので、 自然な🍎の赤が綺麗。 | |
絵としては、変わり映えしないのですが 今朝は、ヨーグルトに合わせて。 | |
生産者の方にお聞きすると、 今年は天候に恵まれたので、林檎は大き目に育ち、 色づきも食味もすごくいいそうです。 | |
この林檎は、 素人の目には、何の問題は見えませんが、 少しの傷と、枝の陰での色ムラがあり規格品となりません。 加工用にまわされるのだそうです。 生の果物の出荷は、選別が厳しくて、 生産された果物を全部生かすには、 ジャムやジュースに加工する部門が、とても大切になってくるのだそう。 フレッシュな林檎で、 家庭で作るジャムは、 素朴な味がそのまま生きています。 | |
美味しい新米で、ご飯をいただける幸せ。 炊きたてのアツアツを握った 《おむすび》は、更においしい。 | |
この本の著者 たにりり さんは、 フードスタジオ「キッチンひめ」を主宰し、 おむすびインストラクターとして活動されています。 米と食について、米穀店・生産者・行政などを支援したり 消費者に向けた、わかりやすい切り口での執筆も多い方。 佐渡に来られた折に、県の農業担当の方にご紹介いただき、 お会いすることができました。 食卓の笑顔は すべてに優先 おいしい食事は、 人の体を作り、人を幸せにしてくれると、提唱されています。 素朴な、おむすびを作ろう。 「おいしい」を、握る。 おむすびは、シンプルな組み合わせ故に、素材にこだわって楽しみたいもの。 手のひらの中に、おかずとご飯があって完成するおむすび。 お茶なり、汁ものを添えれば 更に楽しく、バランスの取れた食事になりますね。 | |
炊き立てのご飯の、塩むすびは、 飽きがこない基本形。 我が家では、 梅干しの紫蘇を乾かした《ゆかり》で。 香りと塩っぱさのおむすび🍙。 | |
ゆかりを、全体にまぶしても(^O^) | |
夫は福井県の生まれ、 遠足などには、梅干しを芯にした とろろ昆布で包む、おむすびが美味しかったとか。 遠足の日のおむすびは、少し冷えても美味しかったな~。 とろろ昆布大好きは、今も変わらないようです。 うどん・蕎麦にもトッピングする、昆布大好な人が多い地域です。 デパ地下のおむすびコーナーには、 《とろろ昆布むすび》が堂々と並んでいます。 | |
穂紫蘇とかぐら南蛮の佃煮を混ぜての、おむすびも我が家の味。 | |
よく食べて、よく動いて、健康な暮らしをしたいもの。 元気の源は、食事から。 農作業の休憩やお昼として、外で食べる時には、 塩加減のチョット強めな、大き目の《握りめし》でした。 | |
おむすびの具 として、自宅で用意できるのは、 ゆかり・梅干し・穂紫蘇と神楽南蛮の佃煮など。 塩引きの鮭 たらこ 鰹節 塩っぱめが好きです。 | |
秋の楽しみは 黒米入り栗おこわ 大根のすかし菜を混ぜ込んで。 | |
思い出のおむすびは、 子どもが部活に忙しかった頃のこと。 お弁当や、おむすびは欠かせないものでした。 好きな具を入れてあげたい、スタミナもつけてあげたいと せっせと、握ったものでした。 が‥、 試合の応援に行ってみると、 炎天下に投げ出された、バッグが‥。 バッグの中の弁当が、傷みはせぬかと心配になり それ以来、夏場は毎回、 梅干し・梅干しとなってしまいました。 息子は「自分は、あの時に一生分の梅干しを食べた」と言っております。 子ども達が、もっと小さかった頃には、 外出先では、子どもに丁度いいご飯もののお店が無くて、 おにぎりと飲み物は、必需品でした。 遊びに出掛けるたびに、 安心の、我が家の味を持ち歩きました。 今では親となり、 孫のメールを送ってくれるようになりました。 親指ほどに小さく握ったおむすびを、 孫は《手掴み食》で満足そうな笑顔(^^)v 親の思いは、繰り返されているようです。 | |
おまけの一枚は、ひょうたん。 愛嬌があって可愛い図です。 | |
秋も深まって来たので、おむすびを握って 紅葉狩りに行こうかな(^O^) | |
晴れの日の青空。 仰ぎ見る、金北山の頂のあたりから、紅葉が始まってきました。 | |
アジサイは乾いて、美しいドライフラワーになっています。 |
気づいてみれば あれだけ、スイスイと飛び回っていた燕が、南へ渡って行ったようで、 見当たらなくなっていました。 トンボの群れも少なくなっていました。 そうか、 季節が変わっていたのだ。 | |
初夏に咲く、檜扇。 佐度で伝わる孤蓬遠州流の花材として、生けられる花で、 あまり見かけない花でもあります。 そのヒオウギを、ご近所の畑に発見したおり、 「種ができたら、分けていただけますか」と、お願いしていました。 先日、「種ができましたよ」 「全部でも、どうぞ」と、声をかけて下さいました。 「株分けもできますよ」 すごく、増えるのだそうです。 | |
檜扇の種 美しい漆黒 「ぬばたま‥」は、 夜や黒・黒髪などに掛かる枕詞 と、習った思い出が。 | |
甘柿 小粒の柿が、枝先までたっぷり。 子供の丁度いい “おやつ” でした。 秋の身近な、楽しみでしたが、 子供の手の届くのは、低い所ばかり。 甘かったり、渋かったり。 美味しい柿ばかりでは、なかった(>_<) 味も、思い出。 | |
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。