今日もまた、茗荷が取れました。
以前は、
薬味は、スーパーで買うものでしたが、

佐度の暮らしでは、
茗荷、紫蘇、生姜などの季節ごとの薬味は、
畑から取ってきて、料理に使うものに変わりました。

塩漬けして
しっかり絞り
梅酢に漬けます。
もう一度、梅酢を取り換え、
2~3日、待てば出来上がります。


おにぎりに、茗荷漬けを刻んで入れたり、
巻き寿司の具としたり、
香りと食感を楽しんでいます(^^)v

保存が効き、出番の多いお漬物。
夏の楽しみの、ひとつです。


☆。。。。。☆。。。。。☆

今日も簡単で、
代わり映えしないメニューで、
お昼は、素麺にすることにしました。
終盤になってきた、キュウリをメインに
“山形だし” を作ってみました。

茄子、ミョウガ、オクラ、紫蘇の葉、生姜、ネギを細かく刻み、
昆布や鰹の出汁で、麵つゆ風にします。

刻むだけの、火を使わない夏野菜たっぷりの “山形だし”

友人に教えてもらった “山形のだし” は、
野趣にあふれた、いろいろな香りが魅力。

冷奴にのせたり、熱々ご飯にかけたりしても美味しい。

とても、重宝する、
夏にピッタリの、爽やかな香りダシつゆ。

畑に一株だけ植えている鷹の爪も
真っ赤に色づいてきました。

普通には、辛味を効かすために、
キンピラや漬物に入れていますが‥、


異なった使い方を、人気のお惣菜屋さんの味つけに発見しました(^O^)

魚の煮つけ、昆布巻き、鳥汁の仕上げに使うのです。

目立たないけれど、
味の深い奥に、存在を感じます。

大人の料理の、楽しい隠し味。

我が家も真似して、実践中。

鷹の爪の収穫を迎えると、
いよいよ夏が終盤になってきました。


いつもの美容室で、髪をカットしてきました。

癖のある髪のことを、をよく知っていて
黙っていても、伸びた分だけ
手早くカットしてくれる
頼もしい美容師さんが居てくれるので、通っています。


鏡に映る姿が、いつもと違って
何やらユニフォーム姿でした。

??? お聞きすると、
全国の離島から、 22 チームの中学生が集結し
《島と島の交流を深める》野球大会があるのだそうです。

いろいろな島に、会場を移しながら、
《離島甲子園》が開催され

22日~26日まで、
佐渡が大会の会場に。


大会の提唱者は、村田兆治さんで、
今回で 13 回目を迎えます。

大会を記念して、野球教室が開かれ、

投球フォームや打撃のポイント、
練習方法のアドバイスなどを受けられる
中学生にとっては、とても貴重な機会。

コロナ禍のため、2 年間の大会が開けなかったのだとか。


市内のあちこちで、この応援のぼり旗を見かけます。


親としては、
仲間と共に、練習に励んでいる子供たちのためにできることは
元気の素の食事を用意し、
しっかり寝かせることぐらい。

野球少年の応援は、何たって楽しいのです(^O^)

埃だらけのユニフォームの洗濯も、
おむすび🍙や、お弁当作りも
苦になるどころか、大いなる楽しみ(^_^)

選手として日ごろの努力を、
試合で活躍のチャンスがあったら嬉しい。

生き生き、元気ならばそれが一番。


美容師さんも、
息子さんの試合の流れ次第では、
「お休みを貰って、応援に駆けつけたい」と、楽しそうでした。

中学校 3 年生として、
クラブ活動の集大成の日ですね。

先日は、夏の高校野球、甲子園での
優勝校の仙台育英・須江監督のスピーチに、

多くの人が共感を覚えた言葉がありました。



コロナの為に、高校生たちは
入学式どころか、中学の卒業式もちゃんとできませんでした。

僕たち大人が過ごしてきた高校生活とは、全く違っています。


充分な練習も、試合もできない日々を、
過ごしてきた球児たち。

『青春って、すごく密なので』

『全国の高校生に、拍手をしてもらえたら』


不自由な時間を、共に過ごし、
状況を乗り越えてきた仲間たちです。

マスクを着けながらの運動も、キツかったでしょう‥

《全国離島交流中学生野球》のみなさんも、同じですね。


3年ぶりの、佐渡での大会。
青春の大舞台に立てて、
よかった よかった !(^^)!


コロナ禍 “第7波” の、行動制限が解かれたので‥、
お盆に帰省した、叔母たちに会いました。
(叔母たちは、80歳を超えています)

3年ぶりです。

何時かは、その日が来るとは思っておりましたが、
1月の末に、母を亡くしました。

最期を看取とり、新盆を迎えたところです。

家庭の要として、
静かに、確かに、生きた母でした。

亡くなる前の数年は、認知症となり、
家族との会話も、成り立たなくなりましたので
少し淋しくもありました。

ですが、ありがたいことに
お薬を必要とする病気もなく
痛い、痒いもなく、穏やかに過ごす毎日でした。


母を亡くしたばかりの時には
すぐには感じなかった寂しさが‥

次第に、静かな深い喪失感となって
胸の奥に、積もってきました。

☆。。。。。☆。。。。。☆

母の新盆に、お供えしようと
求めてきたのは《すだれ団子》


その昔、お盆になると
お墓参りに来てくれる親戚のために
母がいつも作っていたのが
軽いおやつの《すだれ団子》でした。


お盆は
お墓参りに行けば、親族の誰かに会える日。

親戚たちは、
頃合いを見て、集まり
ゆっくり、おしゃべりを楽しみにしていましたし、

母は、その時間を大切にしていただきたいと
お待ちしていたようにも思います。


甘いのはチョットと‥言う方にの為には、
冷たい《ところてん》を。

さっぱりとした甘さの《西瓜》も、
暑い中、お墓参りに来てくれたお客さまへの
せめてもの、心づくしでした。

ご仏前には、
果物、夕顔 、 かぼちゃの煮つけ、 茄子の漬物など、
畑で育てた野菜での、素朴な手作りの精進料理を。

ご先祖さまには、彼岸から帰って、
いつもの家の味を楽しんでほしい‥の思い。

ささやかではありますが、
心を込めてのお膳をお供えしたものでした。

今では、
母が元気な頃のようなことは、できくなりましたけれど‥。



新盆の為に、盆提灯を点けて
母をお迎えしました。

コロナ禍のために、
病院へのお見舞いや、葬儀の仕方など
全てが変わってしまったことを、実感しました。

葬儀所への出棺の折には、
ご近所の方々が、門送りに来て下さり、

その後は、
家族と縁の深い身内だけでの、見送りとなりました。


昭和2年に生まれ、93歳の生涯でした。

昭和の大戦を挟んで、世の中を覆う閉塞感のコロナの時代まで、
大家族の、“嫁さん”・“母さん”・“やさしい婆さん”として生きました。
地域の中の役割や、たくさんの親戚との付き合いなども、
丁寧にしてきた母でした。

自分には厳しく、誰に対しても公平で、
誠実な生き方を貫いた母だったと思います。


私たちは、子育ての時代を終え、
定年後に故郷に戻り
父を見送り‥、母を見送り‥。

両親との時間を、近くで持つことができました。

「お母さん、ありがとうございました」
感謝を伝えることができましたし、安堵も覚えています。

新盆を過ごし、
やっと気持ちに、区切りがついてきたところです。

母の笑顔ばかりが、思い出されます。

山の日。
定着してきたような、
まだ馴染が薄いような祝日。

また、少し季節が動き
見かける花の種類が変わってきています。
庭の片隅や、空き地に
白い<タカサゴユリ>が、ゆれて見えます。
夏水仙
田んぼの緑

スクスク、美しく育つ稲。

サワサワと音をたて、風が稲穂を撫でて通り過ぎて行きます。
暑さを忘れる一瞬。

山里の、小さな田んぼの風景。
大きなカマキリに出会いました。

暑さの毎日。
夜も気温が下がらず、寝苦しい熱帯夜が続いています。

少しでも涼しさを感じられる風景を
探してみました。


朱鷺が田んぼに集合していました。
空には、合流しようとしている朱鷺も数羽。

今日は、ここで餌を探すようです。
涼し気な色。
雑草なれど、独自の存在感あり。
池いっぱいに広がる、睡蓮。

山道で出合った、ウドの大木に白い花。


ウドのま~るい花に、
薄い衣を付けて、から揚げし
お皿に添えれば、季節のあしらいになります。

お洒落で楽しいウドの花。

Uターンしたての頃、
夏の食事会で、初めて味わいました。

田舎ならではの、お遊び。

チャンと独活の香りが楽しめます。
枝豆は、まだ花を付けたばかり。
よく見れば、涼しいブルー。
佐度産コシヒカリ
稲穂の形が整ってきました(^^)/
色づき始めた田んぼ(^^)v
朝摘みのブルーベリーは、ほぼ終盤。
実は、小粒になってきました(>_<)
ブルーベリーとネクタリンのジャムを
佐度乳業さんのヨーグルトに添えて、毎日(^O^)
ジシャノ実 (和名はエゴノキ)
丸い実が枝から下がって、ゆらゆら。

乾いた実を、お手玉に入れるといい音がします。
お手玉で遊ぶ子どもは、もういないのかな~。
空蝉

暑さはまだまだ、続いていますが、
朝夕に、秋の気配を少~し感じるようになっています。
ニラの花
猫じゃらし
まだ、咲いているハマナス。

ガマの穂
耕作放棄された田んぼに、目立ちます。

高齢化により、耕作できない田んぼが多くなっている
現実の風景も見えます。
田んぼアート
朱鷺も羽ばたき始めました。

朱鷺と暮らす郷 の、田んぼアート。

モデルは、朱鷺と共に暮らす
佐渡ガエル・赤トンボ・オタマジャクシ・ドジョウ‥たち。

田んぼには、生き物がいっぱい。
山々も、絵柄に現れてきました。

佐度は、生き物たちと共生するための
環境作りを、長年積み重ねています。

季節の風景が、少しずつ変わってきています。

佐渡の、ここら辺、そこら辺の夏の景色です。

佐渡の柿餅本舗

2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。

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