今日もまた、茗荷が取れました。 | |
以前は、 薬味は、スーパーで買うものでしたが、 佐度の暮らしでは、 茗荷、紫蘇、生姜などの季節ごとの薬味は、 畑から取ってきて、料理に使うものに変わりました。 | |
塩漬けして | |
しっかり絞り | |
梅酢に漬けます。 | |
もう一度、梅酢を取り換え、 2~3日、待てば出来上がります。 | |
おにぎりに、茗荷漬けを刻んで入れたり、 巻き寿司の具としたり、 香りと食感を楽しんでいます(^^)v 保存が効き、出番の多いお漬物。 夏の楽しみの、ひとつです。 | |
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今日も簡単で、 代わり映えしないメニューで、 お昼は、素麺にすることにしました。 | |
終盤になってきた、キュウリをメインに “山形だし” を作ってみました。 茄子、ミョウガ、オクラ、紫蘇の葉、生姜、ネギを細かく刻み、 昆布や鰹の出汁で、麵つゆ風にします。 | |
刻むだけの、火を使わない夏野菜たっぷりの “山形だし” 友人に教えてもらった “山形のだし” は、 野趣にあふれた、いろいろな香りが魅力。 冷奴にのせたり、熱々ご飯にかけたりしても美味しい。 とても、重宝する、 夏にピッタリの、爽やかな香りダシつゆ。 | |
畑に一株だけ植えている鷹の爪も 真っ赤に色づいてきました。 普通には、辛味を効かすために、 キンピラや漬物に入れていますが‥、 | |
異なった使い方を、人気のお惣菜屋さんの味つけに発見しました(^O^) 魚の煮つけ、昆布巻き、鳥汁の仕上げに使うのです。 目立たないけれど、 味の深い奥に、存在を感じます。 大人の料理の、楽しい隠し味。 我が家も真似して、実践中。 鷹の爪の収穫を迎えると、 いよいよ夏が終盤になってきました。 | |
いつもの美容室で、髪をカットしてきました。 癖のある髪のことを、をよく知っていて 黙っていても、伸びた分だけ 手早くカットしてくれる 頼もしい美容師さんが居てくれるので、通っています。 | |
鏡に映る姿が、いつもと違って 何やらユニフォーム姿でした。 ??? お聞きすると、 全国の離島から、 22 チームの中学生が集結し 《島と島の交流を深める》野球大会があるのだそうです。 いろいろな島に、会場を移しながら、 《離島甲子園》が開催され 22日~26日まで、 佐渡が大会の会場に。 | |
大会の提唱者は、村田兆治さんで、 今回で 13 回目を迎えます。 大会を記念して、野球教室が開かれ、 投球フォームや打撃のポイント、 練習方法のアドバイスなどを受けられる 中学生にとっては、とても貴重な機会。 コロナ禍のため、2 年間の大会が開けなかったのだとか。 | |
市内のあちこちで、この応援のぼり旗を見かけます。 親としては、 仲間と共に、練習に励んでいる子供たちのためにできることは 元気の素の食事を用意し、 しっかり寝かせることぐらい。 野球少年の応援は、何たって楽しいのです(^O^) 埃だらけのユニフォームの洗濯も、 おむすび🍙や、お弁当作りも 苦になるどころか、大いなる楽しみ(^_^) 選手として日ごろの努力を、 試合で活躍のチャンスがあったら嬉しい。 生き生き、元気ならばそれが一番。 | |
美容師さんも、 息子さんの試合の流れ次第では、 「お休みを貰って、応援に駆けつけたい」と、楽しそうでした。 中学校 3 年生として、 クラブ活動の集大成の日ですね。 | |
先日は、夏の高校野球、甲子園での 優勝校の仙台育英・須江監督のスピーチに、 多くの人が共感を覚えた言葉がありました。 コロナの為に、高校生たちは 入学式どころか、中学の卒業式もちゃんとできませんでした。 僕たち大人が過ごしてきた高校生活とは、全く違っています。 充分な練習も、試合もできない日々を、 過ごしてきた球児たち。 『青春って、すごく密なので』 『全国の高校生に、拍手をしてもらえたら』 不自由な時間を、共に過ごし、 状況を乗り越えてきた仲間たちです。 マスクを着けながらの運動も、キツかったでしょう‥ 《全国離島交流中学生野球》のみなさんも、同じですね。 3年ぶりの、佐渡での大会。 青春の大舞台に立てて、 よかった よかった !(^^)! | |
コロナ禍 “第7波” の、行動制限が解かれたので‥、 お盆に帰省した、叔母たちに会いました。 (叔母たちは、80歳を超えています) 3年ぶりです。 | |
何時かは、その日が来るとは思っておりましたが、 1月の末に、母を亡くしました。 最期を看取とり、新盆を迎えたところです。 | |
家庭の要として、 静かに、確かに、生きた母でした。 亡くなる前の数年は、認知症となり、 家族との会話も、成り立たなくなりましたので 少し淋しくもありました。 ですが、ありがたいことに お薬を必要とする病気もなく 痛い、痒いもなく、穏やかに過ごす毎日でした。 母を亡くしたばかりの時には すぐには感じなかった寂しさが‥ 次第に、静かな深い喪失感となって 胸の奥に、積もってきました。 | |
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母の新盆に、お供えしようと 求めてきたのは《すだれ団子》 その昔、お盆になると お墓参りに来てくれる親戚のために 母がいつも作っていたのが 軽いおやつの《すだれ団子》でした。 | |
お盆は お墓参りに行けば、親族の誰かに会える日。 親戚たちは、 頃合いを見て、集まり ゆっくり、おしゃべりを楽しみにしていましたし、 母は、その時間を大切にしていただきたいと お待ちしていたようにも思います。 | |
甘いのはチョットと‥言う方にの為には、 冷たい《ところてん》を。 | |
さっぱりとした甘さの《西瓜》も、 暑い中、お墓参りに来てくれたお客さまへの せめてもの、心づくしでした。 | |
ご仏前には、 果物、夕顔 、 かぼちゃの煮つけ、 茄子の漬物など、 畑で育てた野菜での、素朴な手作りの精進料理を。 ご先祖さまには、彼岸から帰って、 いつもの家の味を楽しんでほしい‥の思い。 ささやかではありますが、 心を込めてのお膳をお供えしたものでした。 今では、 母が元気な頃のようなことは、できくなりましたけれど‥。 新盆の為に、盆提灯を点けて 母をお迎えしました。 コロナ禍のために、 病院へのお見舞いや、葬儀の仕方など 全てが変わってしまったことを、実感しました。 葬儀所への出棺の折には、 ご近所の方々が、門送りに来て下さり、 その後は、 家族と縁の深い身内だけでの、見送りとなりました。 昭和2年に生まれ、93歳の生涯でした。 昭和の大戦を挟んで、世の中を覆う閉塞感のコロナの時代まで、 大家族の、“嫁さん”・“母さん”・“やさしい婆さん”として生きました。 地域の中の役割や、たくさんの親戚との付き合いなども、 丁寧にしてきた母でした。 自分には厳しく、誰に対しても公平で、 誠実な生き方を貫いた母だったと思います。 私たちは、子育ての時代を終え、 定年後に故郷に戻り 父を見送り‥、母を見送り‥。 両親との時間を、近くで持つことができました。 「お母さん、ありがとうございました」 感謝を伝えることができましたし、安堵も覚えています。 新盆を過ごし、 やっと気持ちに、区切りがついてきたところです。 母の笑顔ばかりが、思い出されます。 | |
山の日。 定着してきたような、 まだ馴染が薄いような祝日。 また、少し季節が動き 見かける花の種類が変わってきています。 | |
庭の片隅や、空き地に 白い<タカサゴユリ>が、ゆれて見えます。 | |
夏水仙 | |
田んぼの緑 | |
スクスク、美しく育つ稲。 サワサワと音をたて、風が稲穂を撫でて通り過ぎて行きます。 暑さを忘れる一瞬。 山里の、小さな田んぼの風景。 | |
大きなカマキリに出会いました。 | |
暑さの毎日。 夜も気温が下がらず、寝苦しい熱帯夜が続いています。 | |
少しでも涼しさを感じられる風景を 探してみました。 | |
朱鷺が田んぼに集合していました。 空には、合流しようとしている朱鷺も数羽。 今日は、ここで餌を探すようです。 | |
涼し気な色。 雑草なれど、独自の存在感あり。 | |
池いっぱいに広がる、睡蓮。 | |
山道で出合った、ウドの大木に白い花。 ウドのま~るい花に、 薄い衣を付けて、から揚げし お皿に添えれば、季節のあしらいになります。 お洒落で楽しいウドの花。 Uターンしたての頃、 夏の食事会で、初めて味わいました。 田舎ならではの、お遊び。 チャンと独活の香りが楽しめます。 | |
枝豆は、まだ花を付けたばかり。 よく見れば、涼しいブルー。 | |
佐度産コシヒカリ 稲穂の形が整ってきました(^^)/ | |
色づき始めた田んぼ(^^)v | |
朝摘みのブルーベリーは、ほぼ終盤。 実は、小粒になってきました(>_<) | |
ブルーベリーとネクタリンのジャムを 佐度乳業さんのヨーグルトに添えて、毎日(^O^) | |
ジシャノ実 (和名はエゴノキ) 丸い実が枝から下がって、ゆらゆら。 乾いた実を、お手玉に入れるといい音がします。 お手玉で遊ぶ子どもは、もういないのかな~。 | |
空蝉 暑さはまだまだ、続いていますが、 朝夕に、秋の気配を少~し感じるようになっています。 | |
ニラの花 | |
猫じゃらし | |
まだ、咲いているハマナス。 | |
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ガマの穂 耕作放棄された田んぼに、目立ちます。 高齢化により、耕作できない田んぼが多くなっている 現実の風景も見えます。 | |
田んぼアート 朱鷺も羽ばたき始めました。 | |
朱鷺と暮らす郷 の、田んぼアート。 モデルは、朱鷺と共に暮らす 佐渡ガエル・赤トンボ・オタマジャクシ・ドジョウ‥たち。 田んぼには、生き物がいっぱい。 山々も、絵柄に現れてきました。 佐度は、生き物たちと共生するための 環境作りを、長年積み重ねています。 季節の風景が、少しずつ変わってきています。 佐渡の、ここら辺、そこら辺の夏の景色です。 | |
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。