大雪が日本海側にどっさり。
北陸地方は、昭和56年以来、37年ぶりとなる記録的な積雪量で、
親戚の住む福井は、国道の渋滞が1500台を超えてあらゆる物流がマヒ状態だそうです。
電話をかけ、あんばいを尋ねてみると、
「状況が変わるまで、家に籠もるしかないね‥。大丈夫だよ。ありがとう。」
やわらかに降り積もる静かな雪が、普段の生活を、いとも簡単に狂わせています。
豊かな実りをもたらす雨も雪も寡黙なれど、自然の本質は脅威を秘めたもの。
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佐渡では23日頃から雪が降り始め、27日頃から低温が続いたために29日朝には水道管が凍結し、破裂したり、断水したり。
全戸の半数近くの一万戸が、水道の出ない生活を何日も強いられました。
空家が多く、水道管の破裂の状況を把握しきれていない実態がありました。
雪の量は、さほどではないのですが、凍りつきました。
お隣どうしが安否を確かめ合いながら、家から外への雪掻きをして道を確保したり、
「水道は出ていますか?」 「買い物は?」 「ゴミ出しをしましょうか?」
普段は、お互いの生活にあまり深く立ち入らないようにしていますが、
イザという、この時ばかりは声をかけ合っての数日。
ご近所の助け合い機能が、チャンと生きていることを確認もできました。
ホワイトアウトのため、バイパス道路がしばらく交通止めとなり、別のルートが大渋滞。
滅多にないことなので、記録的に綴ってみると・・・・・
水道の復旧工事が必要な件数が多すぎて、直ぐには風呂に入れない家庭が多く発生。
公共の入浴施設が被災者に開放されたのは、数日後でした。
数年に一度の大雪とはいえ、市民も危機感が不足していたこともありました。
夜間に水を出して休むという、初歩的な対応を忘れていました。
佐渡市が、自衛隊に給水車の応援を要請したのは数日後。
水道の復旧までには、羽茂は6日間を要しました。
一人暮らしのお年寄りや、指定の場所まで指定の時間帯に給水に行けない人も多く、
寝たきりのお年寄りの介護や、赤ちゃんには水が不可欠で、困った事態となったことは察して余りあります。
情報の伝え方も、佐渡市のホムページを見よ‥ 水道課に問い合わせよ‥ 佐渡テレビで文字放送しているので確認して下さい‥とか、防災放送はありましたが‥
市民にキメ細かく具体的に、充分に伝わったでしょうか‥?
給水用のタンクは、ホームセンターで品切れとなり混乱が起きました。
自然災害ゆえに、仕方なかったことではありますが、
学校は、給食の皿が洗えない、調理ができないので、休校。給食無しの対応。
牛乳とパンのみの日がありました。
インフルエンザの流行と重なり、手洗いの水も貴重となりました。
水道が使えない状態ですから、火の用心を更に気をつけましょうと、消防車が呼びかけて廻りました。
お年寄りのデイサービスは、入浴を目的とする方が多く、これも中止となりました。
日常の生活を保つことの基本は、何よりもお水と暖房用・車のガソリン、人のつながりの大切さ。
今回は停電とならなかったので、照明と暖房がついたことがせめての救いでした。
しかし、田舎暮らしの良さを感じたことも。
食糧や野菜の保存がある安心感もあって、市民があわてずに柔軟に対処したこと(^O^)
全国ニュースで佐渡の断水状況が放送されたため、ボトルの水を幾箱を送ってくれた知人がいて、直ぐに行動を起こしてくれたことに感謝している、とは、友人の談。
電話で安否を問い合わせてくれたり、外からの応援もいっぱいいただき、ありがたかった(^O^)
離島の佐渡は、欠航が続き仕事の予定にもかなり支障が出ましたが、どんな状態であろうとも、数日間生きて行くための備えをしなければ、と感じたしだいです。
自分で出来ることは、自分で対処し、静かに沈静化するのを待ちました。
SOSを出せない方に、もう少し早く気付いて手助けをできたらよかった‥反省点です。
余談として、
予約してあった歯科から、“ 断水のため、臨時休診します” と、フェイスブックから知らせが入ったこと。
今、ならではの伝達方法でした\(^o^)/
全国的にはもっともっと雪が深くて、除雪にご苦労されている地域があります。
やれやれ、雪は白い魔物 ですね。
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。
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