ここしばらく、佐渡で見かける多くのお地蔵さまが気になって
立ち寄って、見るようになりました。
そもそも、お地蔵さまって?
いろいろ調べてみました。
お地蔵さまは「地蔵菩薩」と呼ばれ、
地蔵の「地」は大地を、地蔵の「蔵」は包み込むことを、
意味しているそうです。
お寺のお堂だけでなく、お墓や道路の道筋、田んぼのあぜ道など、
いろんな場所で私たちを見守ってくれ、
最も弱い立場の人の苦しみを、真っ先に救って下さる‥と、信じられていました。
私たちに寄り添ってくれる、馴染み深い地蔵菩薩。
国道350号線沿いの、海を見下ろす小高い斜面沿いに上って行きます。
真野・椿尾地区の 六地蔵
丸~いお顔のお地蔵さまは、「子供の守り神としての信仰」があり、
子どもが喜ぶ、お菓子やおもちゃが供えられます。
椿尾の名工、(安藤五兵衛作)
六地蔵と七観音が同じ小屋にいるのは珍しく、
以前は野ざらしでしたが、
「立派な六地蔵が可哀そうだ」と、ここを訪れた篤志の方からの寄付があり、
村人が総出で、ブロック作りの収容小屋を建てられそうです。
手前の、七番目の観音さまが写っていませんが‥(>_<)
椿尾の名石工 (中川重太郎)(善平)の名が残されているそうです。
気品ある面ざしのお姿です。
台座には椿が刻まれているのが特徴( ^^)
佐渡の各地に、石仏信仰の石塔が街道沿いに見られます。
看板前で縁起について読んでいる時、知り合いが通りかかりました。
会釈して別れたのですが、程なく
「せっかく興味をもって来て下さったのですから、私の知っていることを説明しますね」と、
笑顔でUターンして下さいました。
お地蔵さまを自慢に思う、地元愛を感じました(^-^)
斜面の石仏達は、極楽浄土のあるという西の方角を眺めて並んでいます。
江戸時代より前の佐渡にあっては、田畑が狭く生産は極度に不安定な時代がありました。
人々は死後に、来世は極楽浄土に生まれ変われるよう祈るしかなく、
地蔵は身代わりとなって、来世への導きへの願いを叶えてくれる‥
心のよすがとなっていたようです。
ここ椿尾石(花崗岩)は、柔らかく細工し易いため、多くの石仏が彫られました。
隣の集落の羽茂・小泊石(石英安山岩)は、硬いため、
金の鉱石を砕く石臼として使用されたり、生活の必需品の石臼が作られた時代がありましたが、
次第に使われなくなったために、
小泊白山神社に奉納され、この塚となりました。
一緒に佐渡を歩きましょう‥の意 でも紹介されています。
石見銀山で使う石臼も、佐渡から送られたそうです。
☆。。。。。。☆。。。。。。☆
佐渡のお地蔵さまを、インターネットで検索すると
まずヒットするのが、真野・梨の木地蔵。
赤泊線で、真野から 15 分ほど入った静かな山の中にあります。
周りには一面に、小さなお地蔵さま達
入口には、笑顔の夫婦地蔵も。
本尊の石地蔵は、漁師が海中より拾い上げたものを、
ここ、梨の木(地名です)に移し、納められたそう。
この地蔵さまは、子供の病気平癒を必ず叶えてくれる‥と言われ、
願かけに訪れる人が絶えません。
願いが成就すると「身がわり地蔵」を持参するのだそうです。
何千何万ものお地蔵さまが、境内せましと並んでいます。
祈りは届いたのでしょうか。
花のお供えが絶えない、梨の木地蔵。
人里離れた山の中なのに、何故かいつも人の気配がする空間です。
貧しかった人々の、いつも祈りの傍にあった慰めの仏さま。
今も、大切に守られているお地蔵さまばかりでした(^^)/
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。
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