将棋好きの家人が、パソコンの前から動きません。

 

若き棋士、藤井聡太王位・棋聖 と豊島將之竜王との、王位戦第 4 局。

王位戦 七番勝負

王位戦 七番勝負

朝の対局始めの時間から、ABEMA チャンネルを覗いています。

 

棋士として中学生でプロデビューした、

藤井聡太クンは、まだ 19 歳。

ついつい、孫のように、息子のように応援しています。

 

加えてabemaチャンネルでは、AIの形勢診断も表示されつつ、

大盤解説もLIVEで進行し、縁台将棋の特等席で観戦できる楽しさもあるようです。

 

定跡に囚われない、鮮やかな手筋での戦いぶりで、棋士仲間をも驚かせる聡太棋士。

藤井聡太 特集

藤井聡太 特集

将棋の世界は、実に公平。

誰でもに参加資格のあるトーナメントが多く、勝ち進むシステム。

 

そう言えば、将棋のタイトル戦は

新聞のスポーツ欄に掲載されていますね。

将棋は、知力の格闘技。

師匠 杉本昌隆と

師匠 杉本昌隆さん

師匠と笑顔の聡太さん。

 

おだやかな師匠のもとで、天賦の才能を育てられ、プロ棋士の道へ。

「ヘタに、型にはめること(指導)をしなくてよかった」(^O^)とは、師匠の杉本 八 段の言葉。

 

将棋界の先人、タイトルホルダーのお歴々が

きちんと、< 藤井聡太二冠 >をリスペクトし、礼儀を尽くしていらっしゃることは、実にさわやかに感じます。

 

他のスポーツ界では、年長であるというだけで‥

以前に活躍して、名前を知られているというだけで‥

政治家もシカリ‥

高い所から、評論している大御所とかの、発言には残念ながら時代錯誤の感が??、、。。

《時代》は日々、柔軟に変化し、進化しています。

それぞれの世界で活躍する若い世代に、エールを送りたい(^O^)

 

将棋に不案内の小母さんファン故に、聡太クンなんて言ってしまいますが、

大変 失礼なことと‥申し訳けなく思います。

反省はしていますが、聡太クンの活躍は楽しく

唯一の 明るく さわやかな話題。

 

藤井二冠の他にも、多くの若い棋士が活躍していて、

将棋ファンの裾野が年代を問わずに、広がってきていることを感じます(^O^)

 

もしかしたら、3 つ目のタイトルを獲得し、

あるいは年度内には、6冠の可能性があるのだとか。

 

“ 観る将 棋” とかの言葉も生まれ、

無邪気な将棋ファンのおじさん達を、もっと楽しませていただきたいもの。

 

次は 22 日に、叡王戦 5 番勝負   第 4 局 。(これまで 2 勝 1 敗)

勝てば、最年少 3 冠の記録を樹立。

 

その次、 24日から 25 日は、

王位戦 7 番勝負  第 5 局。

(これまで 3 勝 1 敗)

勝てば、王位を初防衛となります。

 

お~いお茶杯 62 期 王位戦

七番勝負 第 5 局は、

藤井聡太王位 (お~い) の、 『初手 お茶を ひと口』 から始まります。

 

明日の対局が楽しみです。

 

涼しい夜が戻ってきた、お盆となりました。

実家へ、お墓まいりしてきました。

 

数日前からは、

スーパーやホームセンターの入口には、盆花がたっぷり並びお盆の準備がされ、

ハスの葉やカラフルな花を、買い求める人を多く見かけました。

 

今年も、

親戚が集まって、ゆっくりと‥昔を懐かしむ・・・

とは、なりませんでしした。

新潟日報 8/13

新潟日報 8/13

お盆の朝刊の一面には、医療の《災害時級》逼迫を伝える記事。

 

テレビでは、 佐渡病院の院長からのメッセージが、

佐渡病院 院長から

佐渡病院 院長から

「クラスターは、ある日突然に起こります」

 

佐渡病院で対応してきましたが、10 の病床が全てうまってしまう状況。

若年で重症になった場合、ヘリコプターで島外に搬送していたのですが、

今はもうできない‥。

状況の説明

状況の説明

8 月 13 日、佐渡病院の院長さんからは、

医療の制限をしなくてはならない状況も、起こります‥でした。

 

☆。。。。。☆。。。。。☆

 

千葉からは、《幸水》をいただきました。

梨 幸水

梨 幸水

お盆の頃から、梨シーズンの幕開けとして出荷される人気の銘柄で、

冷やして、甘みと食感がうれしい、さっぱり味。

 

佐渡汽船の地元の土産コーナーに、納品に出かけると

カーフェリーに、佐渡からの荷物の積み込み中。

佐渡から 

佐渡から

急ピッチに、進んでいるところでした。

宅配便

宅配便

手前の大型トラックは郵便を積んで、スタンバイ中。

自家用車

自家用車

九州・四国・中国地方、そして東海道・関東地方までが、

大雨の特別警報が出されています。

 

大雨も、コロナ禍も災害と表現されていますが、

果たして、天災なのか、人災なのか・・・・。

 

台風 9 号が、佐渡の真上を通過していきました。

 

強風と叩きつける雨の音を聞きながらの夜。

今朝は、佐渡汽船の午前の 2 便は欠航となりました。

大きな災害なく、台風が通り過ぎました。ホッ‥。

 

畑のキュウリは、大風に支柱からツルがはがされダメージ多し(>_<)

 

トマトは、雨の為に水分が急激に多く吸収され、実が割れてしまいました。

食べて気づくのは、黄色いトマトの方が皮が薄く、実割れが多いようです。

今朝の トマト

今朝の トマト

生では食べきれないので、トマトソースを煮ることにします。

 

心配された台風の被害と言えば、このくらいで済みました。

畑には、恵の雨となったようです。

 

☆。。。。。☆。。。。。☆

 

佐渡市でも、コロナ感染者がおよそ 50 人に。

 

佐渡病院からは、新聞折り込みにより

住民への呼びかけが届きました。

 

医療の限界が迫っていることの説明と、

救急時の対応方針が示されています。

住民の皆様へ

住民の皆様へ

そこには、

医療の選択が限られ、早めの退院・状況により転院をせざるを得ない‥ことも起こります‥。

入院の方との面会禁止を継続し、更に厳しい制限となる可能性も。

佐渡の住民への協力の要請でした。

 

外出時にマスクを付けることは日常となりましたが、まだどこか遠くだったコロナが、

島民にとっても、我がことに迫ってきました。

新潟県から

新潟県からも

帰省や旅行‥行動を考えて欲しいとの

赤い文字での呼びかけです。

 

昨年もできなかった

お盆の帰省や、親戚や友人との集まり、

夏の祭り、同窓会。

 

今年も、じっと我慢の夏となりました。

 

祭りは、終りました。

コロナ蔓延さ中での、東京オリンピックでした。

オリンピック開催の為に、ゴリ押しと、ルール破りがまかり通りました。

 

予測された蔓延を、防止策なく

市民の生活、国民の命を守ろうとさえしない、権力・政府の無為、無策、無関心・・・・。

 

☆。。。。。☆。。。。。☆

されど、

生活のリズムには、変えられないルーティーンを守る作業が次々とありまして、

今日は、醤油の天地返しを。

醤油の天地返し

醤油の天地返し

醤油樽を、消毒することから。

醤油

醤油

順調に発酵が進んでいます。

カビの発生もなく、きれいです。

色が変わって

色が変わってきました

8 月の天地返し、終了しました(^O^)

 

醤油は、温度が高いほうが発酵が進むのだそうで、

この夏の暑さは、きっと美味しくしてくれるでしょう。

 

続いて、味噌の天地返しをしてみると

味噌

味噌

なめらかで、香りも味噌に変化しています。

素材は、大豆・塩・麹のみ。

麹の働きに任せ、時間の経過を待つだけの味噌。

 

味噌、醤油、塩は、食材が持つ美味しさを、さらに引き出してくれる魔法の杖。

大切に育てています。

 

天気予報では、今日も明日もピッカリ晴れ。

梅を天日で干します。

 

紫蘇を揉み込み、半月あまり経ちましたので、梅に香りも移った頃です。

いざ 干します

いざ 干します 8/3

並べて

並べて

二日目

天日干し 一日目

天日干し 8/5

梅干し完成です

 

梅干し 保存

梅干し 保存

天気に恵まれ、カラカッラに乾きました。

梅と紫蘇、塩、梅酢だけ。

思わず唾がわく、酸っぱさと塩っぱさです。

昔ながらの《梅干し》

お弁当の傷みを防ぎ、魚の煮物などの調味料としても役立っています。

 

これは、《梅酢》

梅干しの汁

梅干しの汁

たっぷりの梅紫蘇の汁が取れました。

この梅酢が欲しくて、毎年作る梅干しです。

梅酢

梅酢

茗荷や生姜を漬けて、調味料として重宝。

最近では、家で焼肉をすることが、トント減ってしまいましたが

牛タン焼肉のタレとして、よく合います。

レモンいいけれども、我が家は梅酢で(^O^)

梅漬け 梅紫蘇

梅漬け 梅紫蘇

干さないで、梅漬けも作り保存。

梅紫蘇もよく乾きました。

ゆかり》もでき、食欲の落ちた夏のお弁当に添えても活躍します(^^)v

 

7月 4 日に始めた梅仕事を、無事に終えることができました。

 

☆。。。。。☆。。。。。☆

昔ながらの梅干し作りは、

現役を離れた (商売無し)ゆえに、じっくり取り組める仕事です。

 

少し説明がいりますが‥、

方言で “しょうべい”とは、暮らしを成すための仕事の収入とか、本業を意味しております。

天日干しなどの手間がかかる《梅仕事》も、時間が自由になる定年後の “しょうべい無し”故に、丁寧に取り組めました。

田舎暮らしの楽しみ・幸せ。

年寄りのささやかな贅沢なのかな。

 

佐渡の柿餅本舗

2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。

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