真野新町まつりが、10月9日・10日、秋晴れの両日にありました。
新町は佐渡金山が盛んに荷を積み出していた頃、「金の道」 新町宿として交通の要であった所。
人や物資が賑やかに往来し、文化の吸収が盛んで町が栄た時代の、旧家が残っている町です。
当日は、旧家が解放されて、お庭や所蔵の掛け軸・絵画・器などの骨董が公開されました。
形式ばらずにお点前をいただける、お茶会の席も用意されて毎年好評です。
新町の中心地にあり、「本陣」を務めた旧家、山本家をお訪ねしました。
部屋に座れば、古木が大切に手入れされ、温かみを感じる美しい簡潔なお庭。
紹介の許しを得て、撮影させていただきました。
お父様の山本修之助先生は、郷土史家として佐渡の歴史資料の保存に努められた方。
佐渡の文化を重んじ、掘り起こしを熱心にされて、多くの著書を残されました。
佐渡を訪れた文化人の多くは、旅館に宿をとらず、山本家に逗留して、厚いもてなしを受けられたそうです。 (町の人による話)
家の中には多くの文化的資料が保存され、ひとつ一つをご当主の修巳先生が、丁寧にご説明下さいました。
自分は、山本先生に教えを受けた生徒だった、と言う人は島内には数えきれないほどいるはず。
多感な高校時代に、文学の楽しさや古文の基礎を教えていただいた、私も、その一人です。
ほぼ40年ぶりにお会いして、お話を伺うことができ、楽しいひと時でした。
新町まつりの前日、真野の真明座により「義経千本桜」が演じられました。
佐渡の文弥人形が廃れかけた時代がありました。
人形に関わると身上が傾いてしまう、と言われていたのだそうです。
そのくらいの熱心さで芸に取り組まないと、技量が保てなかったのでしょう。
相川の北村宗演さんは、真明座の座長である川野名孝雄さんのお父様で、文弥人形を残す努力をされた方。真明座の座員のみなさんも、同じ熱意で取り組まれています。
立ち回りの激しさ、太夫さんの格調高い古語の台詞調子、人形と一体になっての演技は、息をもつく時がありませんでした。普通の町の住人が、演じているのは佐渡ならではのこと。
スゴイ !! ベリーCOOL !!
薪能の番組もこの『黒塚』がシーズンの最後。諏訪神社能舞台で演じられました。
イヤホンで能の約束事や、あらすじの説明を聞きながら観ると、なじみの薄い能も少し身近に。
秋の夜の寒さを感じながらの薪能。
火がはぜる音や匂いも効果を添えて、別世界にいざなってくれます。
秋晴れの一日は農家にとってとても大切。
稲刈りの準備をして、一斉に田んぼに出ます。
‥が、すぐに仕事を始めることができない‥
コンバインに稲の葉が絡むので、朝露が乾くまで待つ。待つ。待つ。
気持ちは急ぐのですが、今日は10時まで待って、稲刈りをスタートしました。
かわいい子供たちがワイワイ。先生に了解を得て、うしろ姿をカメラに。
てんでの手には神社で拾った栃の実を持って、楽しい散歩日和。
「欲しいだけ自由に持っていっていいよ」と声をかけて下さった、おじいさんの家に伺い貰ってきた栃の実。貴重品です。
かやの実は、実が落ちて直ぐに拾い集めないと、ムジナに先を越されて食べられてしまいます。
榧は南佐渡に見かける木ですが、今は少なくなってきているそうです。
この木材で碁盤を作ると、堅いのに碁を長く打っても疲れないとか。これも貴重な木。
今年は、かろうじて私の方が早かったようで、たくさん拾いました。
まだたくさん残っているから、ムジナ君達も味見してね。
佐渡の夏の祭りとして盛り上がりをみせる、アース・セレブレーション。
和太鼓集団『鼓童』が、毎年城山で公演を続けてきました。
鼓童が世界を回って公演し、その魅力に惹かれた多くの人が、夏の佐渡に集まって24回目の祝祭。
太鼓のリズムが、心と胸を高鳴らすのは世界共通のよう。
港の広場では、テント村が立ち並ぶハーバーマーケットが賑やか。
自然の色にこだわり続ける、旅する染物屋さん。
チェーンソーで作った、可愛い兎の木ぐるみ(?)のお出迎え。
かき氷屋の店員さんは多国籍。ワールドワイドでワイワイお手伝い。
柿つながりで、「只今店主散歩中」。ボッテガ・サドのお店。
佐渡に古くから伝わる民芸や陶芸を、さらに田舎風にアレンジ(?)かな。
思わずほのぼの、のお店:古食庵。
中央広場では、ライブを待つ人たちが、の~んびり、の~んびり。
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。