3月の第一日曜日、佐渡真野地区、大倉谷集落の大きな “ わらじ ” が掛け替えられました。
大倉谷の大わらじ
古い大わらじよ、1年間ありがとう・・・
この行事は、この地区に古くから伝わる風習で、「春来」“はりきり”というのだそうです。
その年の正月に大わらじを作り、集落の両端(入口と出口)に人間の大きさ程の大わらじを飾ります。
ある時賊がこの集落にはいろうとしたが、このわらじを見て、こんな大男がいてはかなわない、と言って逃げ出したそうです。
疫病や悪人よけの一種の道祖神として祀られており、この地区の春の風物詩となってます。
今年の新蕎麦がとれました。
11月26日・27日、大崎活性化センターで、大崎そばの会が開かれました。
バスが集結 何事ぞ 始まりそう
そばの会 ご馳走を いざ
佐渡の島、内外から 200 名余りのお客様が一堂に。地元の素朴な料理に舌鼓。
十割蕎麦の打ちたてを、満足いくまでお代わり自由。
蕎麦の会 お母さん手作り 地場の素朴料理
同じテーブルの人同士で 料理を分け合って ど~ぞ
お酒の持ち込み自由 グイグイ
宴会半ば頃からは、地元に伝わる伝統芸能が披露されます。
芸達者な地元のお母さん達 陽気に相撲甚句
文弥人形・佐渡おけさ・ちょぼくり・など、お客様に楽しんでいただける演目が豊富。
12月は、3日・4日の両日。大崎そばの会が開かれます。2月にも1回の予定です。
座ってゆっくり、お蕎麦を楽しみ、のんびりしませんか?
羽茂・大崎そばの会に、どうぞお出かけください (^u^) (^v^) (^o^)丿
小さな道の駅 “寄れっ茶屋”の活動を、ご存じでしょうか?
佐渡に観光に来られた方や、通りがかりの方が少し休みたい時・道を尋ねたい時・トイレを借りたい時などに遠慮なくお寄りください。
目印は、“寄れっ茶屋” 紺色地の旗。
真野の新町まつりに協賛して、手打ちそばや地元のお母さん方の手作り料理をお祭りにきた人たちに召し上がっていただきました。
佐渡の福祉“ゆい”は、福祉・介護・子育て・支え合いなどを通じて地域の茶の間として活動しているNPO法人です。
皆さんも、是非一度、おでかけください。
真野新町まつりが、10月9日・10日、秋晴れの両日にありました。
新町は佐渡金山が盛んに荷を積み出していた頃、「金の道」 新町宿として交通の要であった所。
人や物資が賑やかに往来し、文化の吸収が盛んで町が栄た時代の、旧家が残っている町です。
当日は、旧家が解放されて、お庭や所蔵の掛け軸・絵画・器などの骨董が公開されました。
形式ばらずにお点前をいただける、お茶会の席も用意されて毎年好評です。
新町の中心地にあり、「本陣」を務めた旧家、山本家をお訪ねしました。
部屋に座れば、古木が大切に手入れされ、温かみを感じる美しい簡潔なお庭。
紹介の許しを得て、撮影させていただきました。
お父様の山本修之助先生は、郷土史家として佐渡の歴史資料の保存に努められた方。
佐渡の文化を重んじ、掘り起こしを熱心にされて、多くの著書を残されました。
佐渡を訪れた文化人の多くは、旅館に宿をとらず、山本家に逗留して、厚いもてなしを受けられたそうです。 (町の人による話)
家の中には多くの文化的資料が保存され、ひとつ一つをご当主の修巳先生が、丁寧にご説明下さいました。
自分は、山本先生に教えを受けた生徒だった、と言う人は島内には数えきれないほどいるはず。
多感な高校時代に、文学の楽しさや古文の基礎を教えていただいた、私も、その一人です。
ほぼ40年ぶりにお会いして、お話を伺うことができ、楽しいひと時でした。
新町まつりの前日、真野の真明座により「義経千本桜」が演じられました。
佐渡の文弥人形が廃れかけた時代がありました。
人形に関わると身上が傾いてしまう、と言われていたのだそうです。
そのくらいの熱心さで芸に取り組まないと、技量が保てなかったのでしょう。
相川の北村宗演さんは、真明座の座長である川野名孝雄さんのお父様で、文弥人形を残す努力をされた方。真明座の座員のみなさんも、同じ熱意で取り組まれています。
立ち回りの激しさ、太夫さんの格調高い古語の台詞調子、人形と一体になっての演技は、息をもつく時がありませんでした。普通の町の住人が、演じているのは佐渡ならではのこと。
スゴイ !! ベリーCOOL !!
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。