今日はPM 2.5 が佐渡を覆っていて、景色が霞んで見えます。
春先から、孟宗のタケノコを何回も楽しんできましたが、
いよいよ、筍の最後の《破竹 ハチク・真竹 マタケ》の季節になりました。
破竹はエグミが少なく、あっさりした味わいですので、
旨味の昆布と、クセのある身欠きニシンがよく合うようです。
定番の《身欠きニシンと昆布》の煮物に。
地場野菜のトマトと、ブロッコリーがJAに豊富に並ぶようになってきました。
簡単サラダを添えて、お昼ご飯に(^O^)
佐渡では、竹の子はキリなく次々と生えてきて、
食べても食べてもキリが無いのですが‥。
「食べてね」と、好意を届けて下さった友人に感謝して、
筍を十二分に楽しみました。
☆。。。。。☆。。。。。☆
先輩に貰った小さな鉢植えをながめて、一年。
大きく育つでもなく、地味な鉢です。
が‥、
かわいい黄色い花が、咲きはじめました。
名前は、《三時草》
三時《草》と言いつつも、多肉植物です。
何故か、午後の三時頃にならないと花が咲かない‥不思議。
水やりを特に気にせずとも、雨任せでOK。
佐渡の寒さにも耐え、暑さにも丈夫。
手間いらずの花。
小さな花が、開いて閉じて(^^)/
秋まで、楽しめるそうです。
花の島佐渡の、6月の楽しみは薔薇。
地域の人が公開を待っている、ばら園が西三川にあります。
今から見ごろを迎える、
さかや農園さんの薔薇は、リンゴ畑の敷地を散策しながら、
華やかな色や香りを、自由に楽しめるオープンガーデン。
コロナの為、昨年は公開を休みましたが、今年は、広い畑に沿ってゆっくり歩くならば、
密にもならないでしょう‥から
どうぞ自由に楽しんで下さいとのこと。
一株ごとに、咲き方が異なって
高貴なたたずまい、香りと色。
農園の薔薇の多くは、つる薔薇。
これからが、見頃です。
優しいピンク
リンゴ畑では、摘果作業中でした。
畑の主人公のリンゴは、花火のような青い実が六つ、七つ。
摘果のタイミングを逃さないよう、
その中から、大きな実を選んで残す作業の最盛期。
リンゴも薔薇も、バラ科に属す植物なので、育ち方の環境は共通するのだそうです。
おだやかな、天気の午後。
お隣りのリンゴ園さんも作業中でした。
羽茂方面に向かう国道 350 号線の入り口に、ばら園へ通じる道案内の看板を、
準備してくれるそうです。
緑のリンゴ園を囲む薔薇たちに癒され、華やぎと安らぎの時間をどうぞ(^O^)
明日、6 月 5 日から
ばら園が公開されるということです。
おけさ柿の若葉が、つやつやと美しい季節になりました。
毎年、少しですが《柿の葉茶》を作っています。
無農薬の畑から摘んできた、おけさ柿の若葉。
柿の花は、まだ蕾です。
例年より、一週間ほど早いですが畑に摘みに行ってきました( ^^)
短い時間、蒸します。
広げて、乾燥します。
香ばしいおけさ柿の《柿の葉茶》
あと口の爽やかさと、まろやかなお茶の甘みが長く楽しめます。
ノンカフェインで、ビタミンCが豊富に含まれた《柿の葉茶》は、
冷やしても熱々でも、美味しいこと(^^)/
我が家では、黒焼き玄米茶と合わせて飲んでいます。
4㎞も続く遠浅の海岸。
佐和田の海はひねもすのたり。
この桟橋は、佐和田海岸の中ほどにあります。
桟橋に腰をかけて、静かに沈む夕日をながめる人がいたり、
高校生たちが下校時に立ち寄り、のんびり話していたり。
打ち寄せる波の、おだやかで心地いいリズムを聞きながら、
風を感じながらの一等席。
この東屋では、お昼を食べたり、おしゃべりしたりのグループも。
コロナの為に、今年も中止となってしまいましたが、
佐渡国際トライアスロンのスタートとなる地点です。
そろそろ、大野亀のカンゾウの花が咲く頃。
大佐渡を半周ドライブをしてきました。
道中、のんきもののヘビ君とも、あちらと、こちらで二匹と遭遇。
曇り空でしたが、花も咲き始めていて、緑色と黄色の、おだやかな組み合わせ。
トビシマカンゾウの花が、一面に咲き、
大野亀の山は、頂上まで緑でおおわれてきました。
「山の頂上の石塔まで登れますか?」
大野亀ロッジの方にお聞きすると、
「まだ草刈りが済んでませんので、あまりお勧めできないンですよ‥」
例年、6月半ばには、カンゾウ祭りが行われていますが、
今年は、中止とのことです。
今が、丁度見ごろです。
海の色も潮風も楽しめる、散歩コースをゆっくり巡ると
緑の原っぱに埋もれる感覚になれます(^^)v
観光客で混み合う前に、少~し早めの
カンゾウを楽しむご同輩の姿が、ポツリポツリ。
佐和田をスタートし、海を左側に見てグル~と大佐渡を半周。
絶景ポイントを幾つも通って、
目的地を大野亀としての、120 ㎞ 。
アップダウンと細い道をうねうねと、外海府海岸ドライブでした。
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。