気温はまだまだ高い毎日です。

秋という実感はないのですが、
夜には、コオロギや虫の声が重なって
賑やかに聞こえてくるようになってきました。
佐渡の田んぼの景色が、明るい黄金色の海に。
色づいてきた稲穂がきれいです。
空の雲が、秋めいて。
うろこ雲とすじ雲が、少しずつ混在して見えます。

気象予報士さんが、季節の言葉として紹介してくれたのは、「行き合いの空」

夏の名残りと、秋の始まりの頃をさす季語だそうです。

所によっては、稲刈りも始まりました。

高温障害が、どのようにお米に起きるかが
心配されているところです。


☆。。。。。。☆。。。。。。☆
夏の間に、
おやつとして食べていた、水菓子。
西 瓜 (ピノ・ガール)は、種が小さいので
そのまま食べられる、新しい品種。

種を食べると、お腹が痛む‥と言われていますが、
一切れ二切れ食べたくらいでは、大丈夫。
迷信ですよ‥とのこと。

食欲の落ちたおりは、特に
果物の糖分と水分を、美味しく、楽しくいただきました。

果物のやさしさに、助けられました。

爽やかな甘さと、たっぷりな水分がうれしいデザート。
種無し ピオーネ 
葡萄を作り続けて数年の、義兄の作品。

甘みとプリッとした弾力に、ワクワクします。
「今年のは上出来だよ」は、本人の弁。

シーズンの最後の完熟苺を、冷凍保存して、
ヨーグルトに乗っけて、さっぱり味で。
赤い色も楽しみながらいただきました。

果物を作っている畑から、分けてもらえる田舎暮らしです。

スーパーに並ぶ果物と少しだけ違うのは
生産者の思いのこもった、自信のある新鮮な果物であること。

プレゼントにしたいので、
「佐渡では珍しい、プルーンの実を分けてもらえませんか?」
と、お願いした折には

「もう少し色がつくまで、待ちたいな」と
やんわりと、断わられたことがありました。

今が一番と納得の時にしか外に出さない。
生産者さんの、厳しい果物への品質管理の想い。

もう一つのお楽しみは、毎日の晩酌に
飽きることなく、出ずっぱりの枝豆です。

チョット、硬めの茹で加減で(^O^)

新潟では、お皿にいっぱい盛って食べるスタイル。
枝豆の生産も消費も全国で1 位なのだそう。

コクと香りが豊かで、一粒一粒がおいしい。

イカの塩辛。
懇意にしているお魚屋さんの作る、おだやかな塩味。

今年のイカの漁獲量は、例年のわずか 5 % だったそうです。

1か月ぶりの、久々の、待望の雨が、ほんのしばらく降りました。

畑にしみ渡るほどではなかったですが、
雨で浄化された空に、七色の虹のアーチがかかりました。

暦の上では、秋が来ているはずなのに
まだまだ、夏の勢力は絶大。

長く続く猛暑に
夏バテをしないようにと、
お茶で水分をとり、塩分の補給も意識して暮らしました。

冷房のある部屋から出ると、モヤッと熱波が襲ってくる廊下。

佐渡でこれほどに、続くことはなかったので、
年寄りにとっては、厳しい夏でした。

この夏は、
冷房に助けられて、夜の睡眠をとることができました。

学校は、二学期が始まりました。

地域ごとの夏祭りや、国際トライアスロンなどのイベントも終了し、
いつもの静かな暮らしが戻ってきました。
先日から、買ってはあるけれど
手数のかかる料理に、なかなか取り組めないでいました。

エイヤァと、南瓜のスープを作ることにしました。

先ずは、玉葱とネギをバターで炒めて、
南瓜は野菜コンソメと煮ました。

両方をミキサーにかけてから、
牛乳と生クリームで、なめらかにのばしました。

南瓜の皮も一緒に煮て、
濃厚なポタージュスープが完成。

塩と胡椒で、味を調整します。

南瓜のスープは、
夏の疲れを忘れさせてくれる、やさしい味になりました。


我が家の、夏の台所は
暑さがとてもきびしくて(>_<)
ここしばらくは、簡単料理ばかりで過ごしていたのです。

体にも、心にも、やさしい料理に飢えていたところでした。

夜には、作りたての熱々のスープをたっぷりと。

翌朝には、
冷したスープに、牛乳を加えてサッパリといただきました。

久しぶりに手間をかけた、心がやすらぐ料理(^O^)
ほんとうに、美味しかった。

元気が戻ったような気がしてきました \(^^)/

バターナッツ南瓜は、スープを作っても、プリンにも向いているそう。

次は、このカボチャで、
もう一度 (^O^)

南瓜を変えて、作ってみようと思います。
後日、もう一度。

少しだけ、あっさり味のスープになりました。
羽茂飯岡の羽茂川側に、赤い大鳥居が建っています。

さらに、参道を進むと
正面に、二の鳥居が見えてきます。

そこに鎮座するのは、
佐渡國一宮 度津(わたつ)神社。

子どもの頃から、遠足や初詣に立ち寄り
一の宮神社とか 津神社と呼び
親しみをもっている、身近な神社です。

その羽茂・度津(わたつ)神社の苑内に
佐度市立植物園があります。

植物境界線の北緯 38 度に位置し、
日本の植物相の縮図といわれる佐渡は
約1,700種の植物が植生する島。

昭和 8 年に、植物学者の牧野富太郎博士が
最初に新種を発見し発表した
ヤマトグサ (日本の草の意) なども含まれています。


昭和 23 年 4 月に、有志の方々により
佐渡に自生する植物をできる限り集め、
植栽展示する植物園が設立されました。

佐度植物園にも
NHKの朝ドラ、「らんまん」のモデルである
植物分類学の牧野富太郎博士と繋がる、縁はないだろうか‥。

調査してみると、資料が発見されたそう。

牧野博士が、大和草(やまとぐさ)と名付け
学術書に初めて発表した植物。

これが 👇 ヤマトグサ。
希少植物なのに、新潟県では佐渡だけに
たくさん分布が確認されています。。

ジオ(大地) と エコ(生態系)のつながる島

ヤマトグサは
新潟県の絶滅危惧種レッドリストに指定されていますので、
採取はしないでください‥の注意書きがありました。
資料展の前庭にて 
わかりやすい言葉で、説明されています。

牧野博士は、植物の名札表示の方法について、
科名 学名 和名 地方名 用途など指導された由。

☆。。。。。。。☆。。。。。。。☆


ここからは、佐渡の薬草のこと

佐渡オケラ (佐渡蒼朮 さどそうじゅつ)

種子では繁殖せず、株分けによってのみ
300年以上受け継がれてきた、歴史ある植物。

今では、ほとんど栽培されていない‥貴重な球根。
昨年末、
佐渡で野草研究家として、活躍されている
菊池はるみさんが、
奈良県薬事研究センターの西原正和さんを講師にお招きし、
佐渡の薬用植物についての勉強会を設けてくださいました。

その折に、
握りこぶし程の、佐渡オケラの球根を
分けていただいたもの。

株分けすることで、
希少となった佐渡オケラを増やすことと、
年数を重ねると、劣化してくる球根の更新を目的としているそうです。


春になり、新芽が出てきた時に、
手入れについて、注意することはありますか?
菊池さんに、手入れの方法をメールでお聞きすると、

特別な注意や、管理は要りません。
土の質も選ばないようです。
5 年くらいしたら掘りましょう。
との、返信をいただいておりました。


佐渡の10市町村が、佐渡市として合併する前には
羽茂町の花として、親しまれていたそうです。

町民には、馴染の花でもありました。

佐渡オケラには芳香があって、身近な使い方としては、
正月のお屠蘇の香りに使われているとか。

いただいて持ち帰り
畑に植えた佐渡オケラは、とても順調に育っています。

花が咲いたら
そのようすをUPするつもりでいたのですが‥。

待てども、待てども‥
まだ先の様子ですので、ここでUPすることにしました。

佐渡オケラの開花は、もう少し待つことになりそうです。


佐渡の野草・薬草について
初めて知ることばかりの、楽しい勉強会でした。

佐渡では良質な薬草が採れ、滋養強壮や生薬として、
利用されていたことが知られています。

薬草として、
私に見分け・判別がつくのは、
どくだみ せんぶり げんのしょうこ オウレン くらい。

薬草と毒をもつ野草は、すぐ側にあります。

間違いが起こりやすいので、
よ~く知識のある方のみしか
タッチしないことが安全か‥と思います。

佐渡には身近に、宝の薬用植物があります。

それを、生かしてきた歴史を知ることができました。


夏休みの真ん中。
お盆の帰省や、観光旅行のお客様が多くなっています。

すれ違う車は、島外の全国各地のナンバーを多く見かけます。

夏場の佐渡の車事情は、
「わ」ナンバーのレンタカーは、需要が多く車が不足気味だそうです。

☆。。。。。。☆。。。。。。☆。。。。。。☆

夏の休暇を、お盆より少し後にずらして
4 年ぶりに、長男一家が帰省してきました。

久しぶりの夏を佐渡で、どう過ごそうか…。

「佐渡の新鮮な魚を食べたい」との
リクエストに応えるべく、予約をしたり、準備の下見をしたり‥。

佐渡ならではの、季節のご馳走を楽しんで欲しいし、婆ちゃんの味も食べて欲しい‥。

考えているだけでも、嬉しい時間です。

佐渡乳業のヨーグルト 
義兄作の ピオーネを添えて。
小豆が硬めの “おはぎ ” に。

ハチメ の “ ひと汐干し ”

普段は煮魚で食べることが多い、上品な旨味の白身魚。

グリルに入らなくて、尻尾も頭もカットしました。
イカの “ ひと汐干し ”
ひと汐干しにして、旨味を凝縮します。
鯛の塩焼き
今朝の市場よりの、新鮮な鯛。
しただみ を 茹でて
貝をクルクル回して、身を上手に取り出すことができました。
すり身 汁 と 若布
お味噌汁の定番です。
佐渡の楽しみ  お魚づくし

懇意にしている魚屋さんに用意していただいた、ぜ~んぶ佐渡産の お刺身 (^O^)

佐渡の魚は、基本は白身がほとんど。

孫たちは、
アワビやサザエの貝は、初めての体験だそう。
たくさんのお魚の名前も覚えました。

お魚それぞれの持つ、
甘み 旨味 食感と‥お魚の違いなど
佐渡の『ごっつおう』を、楽しめたよう 。

素材そのものを一つ一つ味わって、
家でゆっくりと、食事ができました。

翌日は、
佐和田の遠浅の海でプワプワ泳ぎ、
海から山のてっぺんまで。

金北山へとドライブしました。
山の上の白雲台 (850m) からは、佐渡の形が地図どおりに見えました。

目の下に雲があって、
雲の中を雨に濡れて通り抜け、山の上は晴れている不思議な体験でした。
孫が生きものが大好き、と聞いていたので、
新潟大学の臨海実験所に予約をして、見学させていただきました。

海の環境や生きものたちの定点観察を続けている、臨海実験所には
蛇口を開くと、海水が流れ込む水槽があり
たくさんの海の生きものたちが、観察できるよう集められています。

小さな貝、色も形も個性的なウミウシたち ヒトデ アオリイカの赤ちゃんなど。

初めて見る、海の生きものばかりです。

四歳の孫の拙いながら
熱心な関心の言葉は、伝わって

教授は孫の手のひらに、アメフラシを乗せて下さり
やさしく説明をしてくださいました。

この夏に佐渡で遊んだ印象は、孫たちに
どのように心に残るでしょう‥

サザエのご飯 お赤飯 地元の寿司 塩引き鮭などの新潟の郷土食。

味噌汁は、ワカメ すり身 自家製のじゃが芋など、家庭の味で。

友人の畑からのアスパラに、佐渡牛の薄切りを巻いたもの。
飲み物は、林檎 100% のジュースに佐渡番茶。
苺🍓・プルーンのジャムは手作りのもの。

佐渡の地場のものばかりを、食べてもらいました。
 
🍉 🍇 🌽 🍓 🥒 🍅 などは、
素朴に手掴み、丸かじり。
大切な人と分け合って食べる果物は、さらに美味しい。


孫達にとっては、新幹線に乗ったり
佐渡汽船で海を渡る‥乗り物も初めてで、楽しみにしていたこと。

コロナ禍の 4 年間は、行き来を遠慮していましたので、
高齢の“佐渡のおばあちゃん”を見舞うことや、葬儀への参列ができなかった長男一家でした。

コロナ 5 類感染症移行に伴って、
4 年ぶりの帰省で、ようやくお墓参りが叶いました。


LINEなどで、普段も連絡をもらっていますが、
息子の家族が、健康でおだやかに暮らし
佐渡で会えるのは、格別の安堵の思いです。

子育て時代は楽しくて、忙しくて、賑やか。

子ども達の足音、明るい声は、生命のエネルギーに満ちていました。

佐渡を楽しんでもらえるようにと願って、
準備していた私達でしたが、子どもの発するパワーをいっぱい貰いました。

「孫は来てよし、帰ってよし」 の、言葉があるそうです。

ほんとに、そうですね。

さて、それぞれに元気で仕事をして、
いつもの暮らしに戻りましょう。

E C (アース・セレブレーション)が
18日~20日の間、 小木で開催されています。

1988年から、佐渡で活動している『鼓童』の
公演は 今年で36 回目。

太鼓・笛・踊り・異国の歌声など、
鼓童との繋がりで、海外アーティストも魅力。

海を越え、国を越えて
この公演を目的に、佐渡に来てくれる
お客さまがとても多くなった、
音楽の野外フェス。

鼓童の真夏の祝祭をご縁に、
我が家にも毎年
立ち寄って下さる友人ができました。

若い頃には、私達も
鼓童の太鼓のリズムを楽しみに通いましたが‥

何せ‥真夏の灼熱の暑さは
年寄りには、身が持たなくなりまして‥

‥ですので、ここ数年は
安全な家で、ダイジェスト版のニュースを見るだけになっています。

無事に、賑やかに、華やかに
お祭りが盛り上がりますように 🥁🌞

佐渡の夏の、グランドフィナーレ \(^^)/

私たちは家で、静かに
毎日をやり過ごすので精いっぱい。

夏の間中 ポリポリと生サラダ
てっぺんまで、毎日実をつけてくれました。

毎朝の水やりのご褒美に
やわらかい、ツヤツヤ茄子が取れています。


畑では、可愛い虫とも遭遇します。

茄子の枝に、みどり色の元気なカマキリを発見。

おしりをピンと立てて
小さいながら、威嚇のポーズも見せて。
かわいい  カワイイ !!
朝の涼しいうちに、草むしりをしていると
飛び出してきたのは、バッタ。
バッタ ???
体の色が、肌色でした。
自然のままに 逞しく脱皮

畑につきもので、困りものの《蚊》には
何故か会っていません。
気温が高過ぎても、活動しないのだとか。

聞いたことがありますが、どうもそのようです。

厳しい暑さに、昆虫たちも耐えて、耐えて
暮らしているようです。


佐渡の柿餅本舗

2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。

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