毎年、6 月の第 2 土曜日に公演されている、「おんなたちのこころみ」
6 月 8 日、6 時 30 分より、開演。
金井能楽堂に、観に行ってきました。
毎年、会を重ねて今回で15 回目の公演となるそうです。
演目は
間狂言 「盛久」 ( 大蔵流 )
一 管 「男舞」 ( 一噌流 )
佐渡民話 「阿新丸と大膳坊」 ( 佐渡民話語り部の会 )
文弥人形芝居 「主馬判官 盛久」 ( 常盤座 )
主催は、佐渡の能を識る会
普段はなかなか観ることができない、演目ばかりです。
佐渡文弥人形芝居が、国の重要無形民俗文化財の指定を受けたのが昭和 52 年。
平成元年に、本間照代さんが初代の代表となって、文弥人形芝居の仲間を誘い、
女性ばかりの一座<常盤座>を旗揚げしてから 30 年目となるそうです。
奥の深い芸能の世界を、楽しく。
若手を育てながら、伝え残したいと活発に活動されています。
この記事は、公演の前日、
新潟日報に紹介されていたもの。
この夜も、激しい動きで人形を遣いながら刃を交え、
合戦の場を盛り上げ、
太夫の爪びく三味線の音は、低く情緒たっぷり。
じっくり聞かせる語りは、
引き込まれる程に聞き入ってしまう、味わい深い公演でした。
世の中は 10 連休のGWを控えて、
レジャーの計画・銀行のATMの稼動は? 車の渋滞予想は?天気予報は?
と、実に賑にぎしい。
ですが‥
佐渡の稲作農家にとっては、GWこそ田植えの季節本番。
水田が耕され、水が引かれて、トラクターが田んぼに入り準備が着々と進んでいます。
今朝の新潟日報で紹介されていた、赤泊の書家、金子嘯風 ( しょうふう ) さんの書道展を拝見しに、
下川茂の生夏 ( しょうげ ) ギャラリーへ伺いました。
金子さん が主催する、書道クラブ「一水会」の代表を務めている
佐々木伸彦さんが、企画した作品展。
金子先生は療養中ですが「 快復を願って 」、先生の書を展示することを計画されたそうです。
この書道展は、4 月 30 日まで開かれています。
おおらかで、自由な大作。
佐々木さんによれば、金子先生のお人柄そのものなのだそうです。
書のことは詳しく解りませんが、どこか心が惹かれて、豊かな魅力を感じました。
とてもダイナミックな書は、近くで拝見すると筆跡も更に楽しい(^。^)y-.。o○
帰り道の、五所神社 にて
ギャラリー生夏さんの近くにも、素敵なお花見スポットがありました。
陽ざしが暖かくなってきたことを実感するのが、車に乗り込んだ時。
今までは、先ずヒーターを ON にすることでしたが、車内がほんわり温か。
やっと春がきました\(^o^)/
15 回目の相川・ひなまつりが催されていて、ひなさん巡りで賑わっています。
今日は、その相川へ。
我が家でも、一年ぶりにお雛さまを飾り、ひと枝の桃の花と雛あられを添えてお祝い。
私にとってひな祭は、ご馳走をいただく口実にできる、春の特別な日。
今日は、ホテル万長さんの、相川ひなまつりを祝っての特別メニューの
“ ひなまつり春彩弁当 ” を予約し、持ち帰っていただきました。
菜の花のおひたし 桜の花びら さくら餅
蟹しんじょうや海老のさくら色、卵や菜の花の黄色、苺やいくらの赤、山菜の天ぷら。
ちらし寿司だけでも豪華なのに、春の色を集めた楽しい折までついています。
お腹いっぱい(^u^) おいしかったです\(^o^)/
子育て時代には、花見の弁当・運動会の弁当・遠足の弁当・雛まつりのちらし寿司など、
行事ごとのお弁当を考えましたが、
今は季節ごとの弁当作りとは、縁がなくなってしまいました。
ニュースによれば、関東地方では今日にも、桜の開花宣言がありそうですが、
佐渡では、まだまだ。
半月くらいの季節の時間差を感じながら、暮らしています。
とは言え、
学校や会社の年度の締めくくりの行事は同じ。
保育園の卒園式が終わり、22 日には小学校の卒業式が予定されています。
社会人の移動も内辞が出されたようで‥、
あちらこちらから「 転勤します 」の挨拶を、お聞きします。
どなたにとっても、大切な区切りの季節ですね。
年に一回のお楽しみ、お雛さまの “ ちらし寿司 ” ご馳走になりました(^。^)y-.。o○
カリスマガイドと巡る、バスツアー。
午後の部
佐渡文化学習は、昼食休憩へ。
ときわ館にて
お昼の食事を、皆さん揃っていただきま~す(^-^)
一品ごとに味付けを工夫したお料理と、こんなにも品数が豊富なお弁当に、
フタを開けたとたんに、みなさんが笑顔に(^。^)
炊き込みご飯 お煮つけ 塩糀の漬け物 酢のもの 揚げ物たっぷり デザート み~んな手作り。
今が旬の佐渡産ワカメ入りの、熱々のお味噌汁も添えられて美味しいこと。
とても心のこもったメニューを、楽しくいただきました。
お弁当の写真は
私がうっかり記録する事を忘れてしまったので、ときわ館の若女将に写真をいただいたものです。
我が柿餅本舗の搗きたて柿餅も、昼食の一品に加えていただきました。
国指定の 重要無形民俗文化財 佐渡文弥人形
常盤座公演「 檀 風 」
平成元年に、女性だけの文弥人形芝居の座を旗揚げした <常盤座>
二階に専用の舞台を持ち、佐渡の文弥人形を伝える拠点となっています。
今日の、常盤座公演の演目は
妙宣寺と大膳神社にとてもゆかりのある
「 檀 風 」
舞台を打ちつける柝の音から。
期待とわくわく感で、幕が開きます。
人形と一体となって、激しい立ち回り
文弥人形は、人形を一人で遣います。
ダンダン、という足音も効果音のように聞こえます
沖に漕ぎだした船を、数珠を擦り合せ念仏を唱え呼び戻す
無事に岸を離れ、逃れることができた!!
熱演の成功を物語る、座員のみなさんの笑顔です
たたみ掛けるような語りで、話の情景がうかぶ太夫の三味線の弾き語り。
本多宗青太夫 と 和田登志江座長。
芝居は生きていることを、実感(^-^)
演技の途中でも拍手が湧きあがるほど、観客を魅了した公演でした。
善光寺へ
本堂には、長野の善光寺と同じように、戒壇めぐりができるようになっていて、
七回お参りすると、長野の善光寺へ参拝したのと同じ御利益が得られるそうです。
「 鐘突き堂をよく見るといいですよ 」
見上げれば、立派な龍の彫刻。
恥ずかしながら、こんな立派なお寺があることも知りませんでした。
戒壇めぐりの入り口付近は、さながら長野の善光寺とそっくりのたたずまい。
最後の訪問先は、お猿さんの神社で有名な日吉神社へ。
あちらにも、こちらにも、裃を付けた猿や、見猿、聞か猿、言わ猿達が・・・・。
達人と言うのは、すごいな。
プロの仕事ぶりの見事さと、驚きに満ち満ちた一日を過ごすことが出来ました。
今日を振り返ってみると、
神社の用語・作法・たくさんの地名・植物・神社の名前・歴史に登場する人物など
なんと情報量が多かったことか。
佐渡を知るは楽し、ふるさとの歴史を知るは楽し。
文化を伝える素晴らしい人達に逢うは、なお楽し。
佐渡飛鳥路を巡り、佐渡を知る文化学習のバスツアーの案内を
FBで見つけ申し込みました。
昨年 7 月に立ちあがったばかりの、佐渡文化財団が主催し、
おもにガイド業務に係わっている方々の、スキルアップのために企画されたツアーですが、
一般の人も参加可能の勉強会です。
佐渡飛鳥路
3 月 17 日 ( 日 ) 朝 8 時 30 分に集合
国分寺跡 ~ 妙宣寺 ~ 大膳神社 ⇒ ときわ館で昼食。
国指定の重要無形民俗文化財・佐渡の文弥人形芝居を観覧するコース。
佐渡観光の最前線に立つ、ベテランのガイドさん達が、
更にスキルアップを、と、カリスマ講師を迎えての企画。
国分寺の歴史的な成り立ちなど、熱心にメモを取っていました。
豊富な知識と軽妙な話術で、佐渡を旅するお客様を楽しくご案内してこられた、講師のお二人。
津田隆子さんと青山菊代さんは、
誰もが認める佐渡のカリスマガイドであり、研究者に近い方です。
今回は、二台のバスで巡ります。
佐渡の子どもであれば、国分寺跡には、たいてい遠足で訪れていますが、
ただの原っぱにしか見えず、歴史的な意味なんぞは‥更に理解の外にしかなかった・・・(>_<)
初っ端のココでも、佐渡弁を混じえてのガイドで津田さんの魅力全開。
佐渡に国分寺が置かれた歴史的な意味や、
いにしえの人々の生活までが、見えて来るような気分になってしまいました(^u^)
御本尊は瑠璃堂にはおわさず、奥にある別の蔵に安置されています。
大晦日から新年を迎える時にのみ、拝観できるとのこと。
小さな祠ですが、ココにしかないものだそうです。
名前も詳しいことも、う~ん、思い出せません(>_<)
普通には、気づくことさえない祠‥かも。
続いて、阿仏坊・妙宣寺へ
新潟県で唯一の五重塔
阿仏坊・妙宣寺の庭の一角に、みごとな枝ぶりの北限の楠。
早春ですので、木々の緑やサルすべりは芽吹いておらず、
池の水連や桜もまだですが、明るい境内をのんびり散策しました。
日蓮上人が佐渡で暮らした時、お世話をし支えたという名刹
歩いて、世尊寺へ
民家のようなお寺。
日蓮の人柄に触れ、佐渡で一番初めに信者となったそうな。
大膳神社へ
山伏が開いた神社は、鳥居の形が異なるのだそうで ‥説明を受け 初めて気づきました。
能が盛んな佐渡で、いつも舞台がオープンになっている大膳神社。
鏡板と神を表す松の傍には、日輪が描かれています。
能を知る人は、この扇を持って舞台に立つとは、日の出を表すことを理解するのだそう‥です。
舞台の日輪と、呼応することを発見。
日本にある最古の、能舞台。
4 月 18 日には、大膳神社の例祭奉納能が予定されています。
この日の一日は長く、内容が細やかでなかなか、先に進めません。
佐渡飛鳥路 ( 国分寺・妙宣寺周辺 ) を巡った、午前の部でした。
お昼の食事から、午後の部は次号につづく・・・ということで。
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。