親しい友人が、先輩夫婦と私達夫婦を、長岡の大花火に誘ってくださいました。
初めての、大花火(^-^)
長岡の花火は、長岡空襲や中越地震で災害を受けた人々を慰霊し、復興を願っての花火。
被災された人の鎮魂と、勇気づけるための応援歌であり、
お祭りでなく「祈りの花火」なのだそうです。
川を挟んで、対岸にも観客がいっぱい(^_^)v
花火が打ち上がるたびに、足元から振動が伝わってきます。
スーと光が夜空に向かって伸び、そして、音が体にドン響きます。
花火が次々と広がって、観客一同がその都度「ワ~、ウォ~」
メインの正三尺玉は、大きく・丸~るく・美しく迫力満点\(^o^)/
見とれて、記録は残せませんでした(^-^)
50万人を超える人が、共に楽しんだ長岡の大花火の夜。
帰りの道も誘導や警備の方に従って、観客一同が静かに移動。
みんなが、楽しかった夜を大切にしようとしていました。
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翌日は、ホテルのバイキングで朝食の後、
新潟の商品が競いあって並び、活気ある店舗の様子を参考にと、
友人が見学ツアーに連れ出してくれました。
商品のラッピング・新しい流行りなどを感じとることができ楽しかった(^_^)v
遊びに出るって、意義ある時間なのだ~。
お昼は、老舗料亭 行形亭 ( いきなりや ) さん
納涼会席
お庭で「 滝素麺 」 を、楽しんでからお座敷に。
行形亭の向かいは、その昔は監獄だったそうで、腰の高さ程のレンガ壁が残されています。
この小路は、地獄と極楽の境目なのだそうです。
黒塀のお料理屋さんで、ご馳走をいただきました。
主婦にはこんなステキな機会は、まずないことで\(^o^)/
先輩や友人と、ゆったりとした明るいお座敷で、貴重な昼食会となりました。
帰りの船の時間まで、まだ時間が少々あり、
隣りにある新潟の豪商が作った、庭園と数寄屋建築の旧齊藤家別邸を見学。
邸内には、ボランティアガイドさんがいて
庭園や邸内のしつらえの謂われや、齊藤家の歴史などの説明を聞けました。
文化の豊かさと暮らしぶりが、守られ保存されていました。
あれやこれや、隅々までの心くばりを感じる
すべての時間が、今まで経験した事のないような、
もったいないくらいの、愛おしい時間となりました。
贅沢な二日間。
長岡の花火への旅行を計画して下さった、友人に感謝です。
地元をよく知る友人のご好意に、ぜ~んぶ甘えての
大人の遠足、貴重な社会見学でした。
佐渡にお客様がいらっしゃった時には、私たちも心を込めてお迎えしたいです(^_^)v
毎年、春を待ちわびるように開催される「佐渡、赤泊地区の村芝居」は、
今年で27回目を迎えます。
今では、春の訪れを告げる行事として、佐渡島内では知らぬ人がいないほど回数を重ねてきました。
今年の演目は「車輪梅の誓い」
シャリンバイは、佐渡ではあちらこちらで庭木として植栽されているバラ科の常緑樹。
車輪のように放射状の葉と、梅に似た花を咲かす 車輪梅は、
お芝居の舞台となる、佐渡・旧相川町の花として親しまれています。
主人公の、権八さんと、つばきさんの、相手をひたすら想い続ける純情と、
悲しい結末までを、相川に伝わる民話に因んでの創作劇。
三年したら、きっと帰るからと約束し、若狭から佐渡の金山に出稼ぎに来た権八さん。
佐渡の金山で、ひたすら真面目に金鉱にノミを打つ、権八さん
語り部が、ト書き部分を、ゆっくり民話のように語ります。
相川鉱山のお祭りに、佐渡おけさ
相川音頭と山田やまびこ会
民謡の歌い手、太鼓など、ワクワク感が UP \(^o^)/
出稼ぎに佐渡へ行った権八さんを、若狭(福井県)で待つつばきさん
三年待っても、権八さんは帰って来ない‥‥。
車輪梅の実を割って、半分ずつお守り袋に持っている二人。
つばきさんが、佐渡に来てみると‥
悲しい知らせが待っていた。
今年も、音楽・舞台装置・照明・メーク・黒子など、
小学生から後期高齢者まで、総勢100名余りで作る舞台。
稽古の初日は、大雪で中止。
子供たちは、インフルエンザが流行って、なかなか集まれない日もあったとか。
村人総出で作る村芝居、今年も、お腹いっぱい堪能させていただきました。
3月になって初日は、大嵐。
夜半から強風が吹き始めた音を聞きながら、迷っていました。
3月3日、4日の 二日間 大阪へ。
「じょんのび にいがた」での、初めてのイベントに出店いたします。
2日に佐渡を出発、大阪へ行く予定で準備していたのですが‥‥船が運航できるのか‥心配。
西日本から佐渡を通って、北海道まで移動するらしい、大荒れもようの天気予報。
昼ころからは、更に強い暴風・波浪警報が出され、外出さえ危険な状態になりそう。
風の音も強く、家に吹き込む隙間風が、襖や窓ガラスをガタガタ揺らしています。
このままでは、佐渡汽船が欠航になってしまう‥‥
そこで、
波が高くなる前に、朝一番の5:30の便で新潟へ渡ることに急遽、予定を変更しました。
その後、ますます風は強くなり‥
海上時化のため、次の便からはすべてバツが付き、欠航の表示が並びました。
これで、島は孤立状態に(>_<)
明日は、更にうねりが増し、波の高さが7mにもなるとか。
たぶん終日、欠航が続くことになりそう。
早めの行動を起こして、よかった(^_^)v
とにかく、佐渡から出ておかないと、事が始まらないのです。
新潟県のイベントスペースへの参加は、慣れない出張・出店ゆえに、
大勢の方からの、アドバイスや応援が、とても心強く参考になりました。
佐渡の伝統食の「柿餅」と、
ぜ~んぶ佐渡産の、丁寧に育てられた原料で作った、
柚子餅・古代餅・よもぎ餅・えごまのおかき・黒焼き玄米茶・おけさ柿の干し柿などを持参します。
混ぜ物のない素朴な佐渡産の柿餅を食べてもらい、佐渡を語り、知ってもらう大切な機会です。
( 裏の原材料欄を、ぜひご覧ください ) ここを、一番に誇りに思っています。
食の文化が異なる大阪では、何が喜ばれ、何が足りないのかを体当たりで感じてみたいもの。
「元気な人ばっかりだから、飛び込んで、楽しんだらいいのちゃう」と、アドバイス有り。
率直で会話を楽しむ、柔軟で豊かな気風だそうです。
いくら(商品)がイイ物であっても、お値段にはシビアなのも関西の人だそう‥。
素朴・純朴な佐渡の小父さんの、佐渡を伝えたいという本気と健闘が、
個性が強いと聞く大阪の方々に、ちゃんと伝わることを願うばかり。
どこに住んでも嵐に襲われる時は同じですし、じっと待てば晴れ間はいつか来ますが、
今回のように、どうしても海を渡らなければならない大切な約束のある時には、
離島に住むことのリスクを感じます。
そこで、一日前倒して、朝一番で新潟まで渡って準備するしかない状況になりました。
その後も、
予約の飛行機は、飛べるのか‥? 次の心配が。
欠航が決まって停泊、待機中のおけさ丸
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不便な事も含めて、すべてが佐渡の生活。
愚痴るつもりは、さらさらないのですが、
海と船ばかりは、スケジュールをこなすうえで、避けようのない、難物、難敵です。
てんや・わんや、出発しました。
週末毎に嵐が襲ってきいます。
先日、国指定の重要無形民俗文化財である、文弥人形、のろま人形の上演会が開かれました。
佐渡文弥人形芝居の集い
佐渡の文弥人形の真明座の座長、川野名孝雄さんが永く続けて来られた活動のなかで培われた繋がりの集大成でしょうか、
島内外から6つのの座を招いて、合同で上演される人形芝居の集いとなりました。
初めに、ご挨拶
石川県白山市の東二口文弥人形浄瑠璃保存会の、文弥・でくの舞 大職冠が特別出演。
佐渡の文弥人形の 真明座 常磐座 双葉座
のろま人形の 廣栄座
中学校の文弥人形クラブ2校 真野中学校 高千中学校 が人形芝居に参加。
一堂に会しての、賑やかな演目が揃いました。
この会を寿ぎ、三番叟(さんばそう)が、川野名さんにより三十数年ぶりに舞われました。
三番叟は、幕開けの祝儀として、開演に先立って演じられる舞いだそうで
地固めの意味もあり、足拍子を踏んで躍動的に舞われます。
一、二、三
一、二、三、四、五
一、二、三、四、五、六、七、と
三、五、七のめでたい拍子で足を踏むのだそうです。
そして、舞の見どころは、手に持った扇子で、踊りながら寿の文字を書き、袖を大きく腕に巻きあげる所作で、寿の点を打ち、袖の松の模様を見せて祝いの気持ちを表します。
足拍子や扇子など、ひとつ一つの所作に意味があることを知りました。
情の深さをしっとりと人形の動きで表し、迫力ある人形の躍動と、太夫の格調高い語り口が調和した演目を楽しみました。
仕事の都合で、午前の部しか鑑賞出来なかったのが残念でしたが、これ程の座が揃って伝統芸能が上演される会は、今までになかったことです。
川野名さんは、「自分が元気なうちに、是非とも実現したい」と願っておられた上演会で、その意味でもとても貴重な人形芝居の集いでした。
佐渡では、幾つもの座が文弥人形に真摯に取り組んでいます。
そして、今回は、石川県白山市から、次代を育てることが難しいという同じ問題を抱えながらも、活動をされている東二口文弥人形浄瑠璃保存会をお迎えできたのも、ひとえに、川野名さんの交友の深さから可能となったものと思います。
この会の主催者は「新潟県立歴史博物館」でした。
これだけの活動に敬意を表するとすれば、主催者は、『佐渡市』であってほしかった・・・。
佐渡国際トライアスロン開催日は、9月3日。
我が家の前は、バイクとランのコースになっていますので、選手のみなさん全員が通るコースの中にあります。
午後からは、バイクとランの選手が並走する賑やかなコースとなります。
選手を応援できることはないかな‥‥と、考えていたところ・・・。
準備された正規の休憩ポイントには、飲み物やトイレなどが用意されていますが、
途中で、もし、疲れたり、トイレが必要になったらご利用ください‥との思いから
手書きの案内を掲げました。
すると、次々と
「こんにちは !! 」
「お借りします」
「助かりました」
「腸の調子が悪くなってしまって‥」
夕方には、
「仮設のトイレは準備されているのですが、薄暗くて入るのに
躊躇しますので、助かりました」
と、レースの続きに戻って行かれた方もいらっしゃいました。
ともあれ、選手の方のお手伝いができたのならば、よかった(^。^)y-.。o○
観光客の方や、トライアスロン始め、ロングライドなどのスポーツイベントで
佐渡を訪れる選手の皆さんにも、あまり知られていませんが、
「寄れっちゃ」の青い旗は、
声をかけていただければ、トイレや近くの道案内、佐渡の情報などの
お手伝いを致しますということの、目印です。
観光で訪れた佐渡で過ごす時間を、楽しんでいただきたい。
佐渡に住んでいる人も、よかったらご利用ください。 お互いさまですから。
トライスロンのゴールは、9:30 pm まで。
夜になり肌寒くなってからは、ビニールの袋を着て寒さを凌いでいる方を見かけました。
更に、ゴール迄、完走を目指して力走する選手の足音が続きました。
無事にレースを終えた選手も、運営の方々も、ボランティアさんも長い一日でしたね。
暗くなった道を照らすようにと、家中の明かりを全部点けていましたが、
レースの終了を知らせる花火の音を聞いて、玄関の灯りを消しました。
お向いさんも、同じ思いでいたようです。
「おだやかな一日で、よかったですね」と、最終の選手を見送りました。
個人でできることは僅かなことですが、応援に参加し、楽しませてもらいました。
また、来年 (^_^)v トライアスロンで\(^o^)/
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。