春に芽がグ~と延びてしまった自然薯を、畑に埋めて置いたもの。
たくさんの、むかごができました。

むかご
そこで、小さなむかごを集めてご飯を炊き、
味が特別にUPするというわけでもありませんが、季節の香りと味を楽しみました。

むかご の ご飯

自然薯の蔓に むかご
粒の大き目なむかごは、
油で素揚げして甘辛味噌に和えたり、塩茹でしてお酒のツマミとして楽しむそうです。
朝から、チンチンと鉦(かね)の音が聞こえてきます。
今日は、地蔵盆。
昨日から当番の方が、お地蔵さまのお堂を清め、幟を立て準備しておられました。
あそこにも、ここにもと、道の傍にはお地蔵さまが祀られています。

八幡町 中町のお堂
当番の役の方は、お知らせとお布施を集めに来られた際に
高齢化のために、これまでのように維持できるかどうか
「ギリギリのところなのですよ」 と、心配されている行事。
身近なお地蔵さまに、子供の病気の平癒を願って大切にされてきたもの。
赤泊線の山深いところにある、梨の木地蔵さんでは
前夜の23日からお籠もりをし、真言を唱え続け
地蔵まつりとも呼ばれているそうです。

八幡町 下組 お堂
親の願いは、いつも同じ。
子供がおだやかな心で過ごせて、健康でいてくれること‥のみ。

地蔵盆 の お団子
祈りのこもった、お団子をいただきました。
8月14日、とても素敵な盆踊りに出かけてきました。
お盆の行事は昔ながらの形から、少しずつ変化してきているそうですが、
ここ、赤泊、山田地区では、しっかりと 「 山田の盆おどり 」が踊り継がれています。

盆おどり会場を照らして
山田の盆踊りは、8月13日から15日の3日間、
佐渡おけさの元のかたちとなったと、伝えられている山田ハンヤとソーメンさん。
「 この地域だけに残されているんですよ 」と、盆踊りの世話役さんは、誇りをもってお話し下さいました。

太鼓 に 合わせて輪になって踊る
佐渡の盆踊りといえば、相川音頭、佐渡おけさが繰り返し踊られる夜ですが
ここでは、山田ハンヤとソーメンさんが主に踊られます。
子供の頃から参加している盆踊りに、若者の姿が多いのが印象的でした。
気難しい年ごろ(?)の子供たちが、地域に大切にされているからこそ
年に一回の盆踊りには、自然に集って
山田地区の盆踊りは、守られてきたのでしょう\(^o^)/

ハッタン の 灯り
ソーメンさんとはなんぞや?
何を唄っているのか、ちゃんと理解できないままでしたが‥
かなりきわどい歌詞が続く、陽気でおおらかな盆おどり唄でした。
太鼓のバチと、盆おどり唄が広場に響くと、
全員がサ~と広がり、一緒に踊り出しました。
みんなが手拍子を打って、輪になって
これぞ、盆踊り\(^o^)/
近くの地域に育ちましたが、初めて聞くリズムと踊り。
素朴で温もりのある、地域の盆踊りの夜をを楽しみました。
雨が降ったり止んだり、目まぐるしい一日でした。
先程はザーと激しく音をたて、BSテレビの画面が一瞬消えてしまいました (>_<)
夏です。
西三川のくだものセンターにスイカが並び、本日よりオープンしました。

西三川 くだものセンター
国道の350号線沿いに、地域の生産者が協同で、
名産のくだものを集めて、運営される人気の直販所。

名産 スイカ
かわいいシマシマが棚に並んで、夏のくだものが次々と登場します。

柿餅
わが柿餅本舗も、さっそくテーブルへ\(^o^)/

ソウメン瓜 かぼちゃ

かぼちゃ

りんごジュース
西三川産のりんごで作られたジュースは、さっぱりとした甘さです (^u^)
明日からは、早生の桃 「 赤宝 セキホウ」 が、出荷予定とか。
人気の 「 あかつき 」 も続きます。
車が止めやすい直販所で、旬のくだもの、野菜、手作りの品ばかりです。
ドライブの休憩に、
どうぞ、お立ち寄りくださいませ (^。^)y-.。o○
10年前の 2006 年7月 11日
「 聞いてくらんし佐渡事情 しなしな行かんか島暮らし 」 を枕詞にして
「 島の新聞 」 創刊号が発行されました。
編集長の長野雅子さんが、佐渡にUターンしたら‥地域の情報を伝える新聞がなかった‥。
そこで、長野さんは首都圏での編集の仕事をしていた経験を生かして、
「 島の新聞 」 を、有志とともに誕生させました。

創刊号
佐渡からの発信と、地域への思いがつまった創刊号
佐渡に住んでいる人も知らなかった、島の歴史 ・ 芸能 ・神社・祭りの謂われ・文化の紹介や
合併したばかりの佐渡市の問題、朱鷺の話題など。
地域で活躍する人の活動を紹介したり、佐渡の暮らしに沿った話題などを、
キメ細かな取材を基に熱意のこもった紙面を作り続けてきました。

島の新聞 笑納会
地元の友人達や同級生が中心となり、発行や購読者への発送作業、寄稿などを手伝って、
内容の深い新聞発行を重ねてきました。
・・・・・そして、2016年3月28日、
島の新聞は10年間の活動を、100号を区切りとして廃刊としました。
私たちは、2年前の88号から、島の新聞への記事の取材や投稿、編集、校正作業、事務所の留守番などの仕事を一緒にしてきました。

お仲間から 花束をうけて
長野さんの想いを応援し続けてくれた“ 同士、戦友 ”である 仲間がお祝いと慰労の会をと、
区切りの100号までを無事に発送し終えて、
みんなで笑って納めの会をと、島の新聞に関係した仲間のみなさんが集まりました。
島の新聞は、佐渡の文化、民俗学的資料としても、貴重な記事ばかりです。
島の新聞の廃刊は、残念でなりませんが、
編集長の長野さんの見識あってこそ纏まっていた新聞であり、
内容の濃い紙面を保ってこられたのも、余人をもっては成し得なかったと思います。
最終号となった「島の新聞」の一面は、佐渡から世界へ。
佐渡からみれば、東京も世界もみんな海外‥と考えれば、
離島というハンデも、魅力にかえてしまおう・・・・といいつつ、
「先ずさらば本紙も昼寝致します」 と 相成りました。
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。