過日、11月10日 新潟日報には
伝統ある《歌と評論》の終刊と、集大成となる合同歌集の出版についての
記事が掲載されていました。
羽茂に生まれた、歌人の藤川忠治さんが主宰し、
昭和 4 年の創刊以来、90年間にわたって歴史を重ねてきた短歌誌。
‥残念ながら‥
会員の多くが、高齢となったこともあり
紙面作りに尽力されてきた、佐々木伸彦さんはじめ編集委員会のみなさんは、
2020年 12月20日発行 歌と評論叢書200編 刊行を以て
区切りの終刊とすることを決断されたそうです。
創刊号の表紙は、
題字 藤川忠治さん 中川一政 画伯
一流一派にとらわれることなく、
「個性の尊重」を守り、表現の錬成をして来られました。
出詠者は 44 名からスタートし、
平成の 3 年には、社友は 600 名を数えたことも。
《歌を詠む》ことが、いつも暮らしの中にあり、
感性を研きつづけた会員 76 名の、 18 首ずつが合同歌集に収まっています。
日報歌壇の投稿欄で、お名前を知る方々も多くいらっしゃいます。
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歌集『鈴さやさやと』 佐山加寿子さん
佐山さんの苗字に、もしかしたら?
と、書店で歌集を手にとりました。
佐山さんのご実家は、鬱蒼たる杉の木立に囲まれた、建立から 1200 年をこえる
由緒ある新穂潟上地区の牛尾神社。
神社の血筋にある女性のみが継承の資格があると言う
神楽を舞う神子(巫女)としての伝統を守るために、
40 歳で「旅」から佐渡に戻られたそう。
伝統を守る社家の使命を、
祖先やご両親の生き方に、感じながら生活されていたのでしょう。
「旅」で仕事をした経験と、「外」から故郷を見る冷静で温かい視線。
神社の伝統を守ることに一生を捧げてきた、お母様の生き方を肯う強い思い。
社家の女子のみが定めの神楽神子 八十四歳の老から継し
きさらぎの雪深き夜に吾を連れて秘儀なる占を見せし父ありき
(ご両親を詠った二首)
春浅き島の斎庭にわが舞ひの鈴さやさやととほりゆくなり
自分が継ぐしかないと、神楽神子としての生き方を決め、
さわやかな意志を《詠》っていらっしゃいます。
古来より島に息づいてきた祭祀は、他の芸能と違って
佐山さんにしか受け継ぐことができない神楽舞い。
実は、佐山さんに、お会いしたことはないのですが‥
ただ、中学生の頃に、佐山さんのお父様
( 書家 で、号は大業さん )に、書道の指導をしていただいたこともあり、
勝手に、親しみを覚えておりました(^-^)
千年をこえる安産杉や、能舞台の境内は静寂の世界。
季節が変わる毎に、散歩と言うか‥参拝に通っている神社。
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歌集『篝火』 石塚多恵子さん
口絵は、金子嘯風さんの書
石塚多恵子さんの上梓された
歌集《篝火》は、新潟の歌人クラブ( 2020 年 )を受賞されています。
歌と共に生きてこられた石塚さんの、集大成としての歌集。
『歌と評論』の会員でもあり、
現在は、新潟日報《島の文芸》欄の選者として、
後輩を育てていらっしゃいます。
自然の風景や花の風情、家族の喜び、
時には人との別れや苦しみを‥詠う。
短歌を詠むことや、楽しむことを大切にされた一冊一冊。
共感する部分と、表現にびっくりしたりも(^O^)
佐渡で暮らしながら詠まれた《歌》を、
ゆっくり繰り返しながら楽しんでいます。
今日は、彼岸の入り。
スーパーやホームセンターの入口では、
仏さまへお供えする花を求める人を多く見かけました。
日ごとに春が進んでいます。
親戚からは、初物の椎茸をもらいました。
ま~るい肉厚の立派な《春どんこ》は、
ツルリなめらかで、食感としっかりした香りの椎茸です。
バター焼きし、醤油をサラッとかけて一品。
炒めてからグラタンに。
甘からく煮て、混ぜご飯で‥いただきました。
春の味です(^O^)/
東日本大震災の日。
10年目の、2時46分に
国道 350 線のJA倉庫前に集まり、祈りのスタンディングを行い、
地震発生の時間に、黙祷を捧げました。
現在、佐渡には 26 人が福島から避難しておられます。
地震による津波の被害と、放射能から逃れての 10 年。
“ふるさと”が戻ることを願っていますが、
震災から進展のない状況が、未だに続いています。
『原発をなくそう』
『柏崎原発の再稼働反対』
プラカードを持って、国道を通る
多くの島民ドライバーに呼びかけました。
わずかに 45 名の参加ではありましたが、
されど 45 名。
「原発事故による不幸が二度と起こらないように」
佐渡からの祈りと願いが、届きますように。
今年も朱鷺の巣作りの一号が、確認されたそうです。
朱鷺の子育てが始まりました。
今日、友人からいただいたのは
完熟のシークワーサー。
温室育ちの木から、「好きなだけ実をもいで行ってね」と、もらったそうで‥
そのおすそ分けを、いただきました。
佐渡でもシークワーサーを育てている人がいる !(^^)!
うれしい驚きです。
レモンに似た香りと酸味が、実にさわやか。
もっぱら、焼酎に絞り入れたり、炭酸で割って味わっています。
ミカンのように、皮をむいて食べても美味しい(^O^)
「シー(酸っぱい)」「クワーサー(食べさせる)」の意だそうです。
沖縄では、緑色のシークワーサーが日常使いされているそうですが、
完熟の実は料理に添えると、丁度いいサイズと色あいです。
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農作業も始まりました。
先ず、水を田んぼに引き込むための《江ぇ掃除、江ぇ上げ》作業から。
人手が揃う日曜日に、共同作業が組まれている集落が多いようです。
田んぼの準備も始まったようで、軽トラを畦道に見かけます。
忙しい季節になって、みなさんが生き生きと活動を始めました。
朱鷺も人も、春を待っていました(^O^)
さあ、いざいざ。 スタートです。
3月7日、三月の初めの日曜日。
大倉谷集落の入口と出口の境目に
「春切 はりきり」という、古くから伝わる風習
高々と“大わらじ”が掛けられました。
何やら、願い事の書かれた木札が付いています。
こんな大男が住む集落では、悪さはできない‥賊は逃げ出すのだそうです。
新しく掛けられた大わらじの傍に、咲き初めたばかりの一枝。
疫病を除け、悪人の侵入を防ぐ道祖神として祀られる、倉谷地区の春の風物詩。
集落のみなさんの共同作業で、大切な行事が伝えられています。
毎年、ちょっとだけ“大わらじの”出来が異なっていて、温かみを感じます。
大わらじの効き目や如ん?
神仏の加護により、効験あらたかなれ(^O^)
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。