今日は、ひなまつり。
佐渡國相川 ひなまつりが始まりました。
新型コロナウイルスの、感染が全国で広がっていることを受け
佐渡でも、イベントが次々と中止、延期、変更されています。
相川の町のお雛さまを見ながらの、散策を楽しみにしていたのですが‥。
お茶会 (ホテル万長) (きらりうむ佐渡)
田村優子さんのコンサート
お雛さまの出展中止 (松榮家) 他 も中止に。
急な変更ですので、住民にきちんと伝わっていないこともありそうです。
お雛さまを拝見に、彩花・森さんへ
天井から、遊び心がいっぱいの手作り古布の作品
お雛さまの公開初日
相客の方と、お茶をいただきながら楽しくおしゃべり。
沈んでゆく夕日が、目の前に広がる窓だそうです。
羨ましい眺め(^-^)
早春のひと時、たくさんの可愛いお雛様に囲まれて、
相川の町の歴史を、色々教えていただきまた。
ここしばらく、佐渡で見かける多くのお地蔵さまが気になって
立ち寄って、見るようになりました。
そもそも、お地蔵さまって?
いろいろ調べてみました。
お地蔵さまは「地蔵菩薩」と呼ばれ、
地蔵の「地」は大地を、地蔵の「蔵」は包み込むことを、
意味しているそうです。
お寺のお堂だけでなく、お墓や道路の道筋、田んぼのあぜ道など、
いろんな場所で私たちを見守ってくれ、
最も弱い立場の人の苦しみを、真っ先に救って下さる‥と、信じられていました。
私たちに寄り添ってくれる、馴染み深い地蔵菩薩。
国道350号線沿いの、海を見下ろす小高い斜面沿いに上って行きます。
真野・椿尾地区の 六地蔵
丸~いお顔のお地蔵さまは、「子供の守り神としての信仰」があり、
子どもが喜ぶ、お菓子やおもちゃが供えられます。
椿尾の名工、(安藤五兵衛作)
六地蔵と七観音が同じ小屋にいるのは珍しく、
以前は野ざらしでしたが、
「立派な六地蔵が可哀そうだ」と、ここを訪れた篤志の方からの寄付があり、
村人が総出で、ブロック作りの収容小屋を建てられそうです。
手前の、七番目の観音さまが写っていませんが‥(>_<)
椿尾の名石工 (中川重太郎)(善平)の名が残されているそうです。
気品ある面ざしのお姿です。
台座には椿が刻まれているのが特徴( ^^)
佐渡の各地に、石仏信仰の石塔が街道沿いに見られます。
看板前で縁起について読んでいる時、知り合いが通りかかりました。
会釈して別れたのですが、程なく
「せっかく興味をもって来て下さったのですから、私の知っていることを説明しますね」と、
笑顔でUターンして下さいました。
お地蔵さまを自慢に思う、地元愛を感じました(^-^)
斜面の石仏達は、極楽浄土のあるという西の方角を眺めて並んでいます。
江戸時代より前の佐渡にあっては、田畑が狭く生産は極度に不安定な時代がありました。
人々は死後に、来世は極楽浄土に生まれ変われるよう祈るしかなく、
地蔵は身代わりとなって、来世への導きへの願いを叶えてくれる‥
心のよすがとなっていたようです。
ここ椿尾石(花崗岩)は、柔らかく細工し易いため、多くの石仏が彫られました。
隣の集落の羽茂・小泊石(石英安山岩)は、硬いため、
金の鉱石を砕く石臼として使用されたり、生活の必需品の石臼が作られた時代がありましたが、
次第に使われなくなったために、
小泊白山神社に奉納され、この塚となりました。
一緒に佐渡を歩きましょう‥の意 でも紹介されています。
石見銀山で使う石臼も、佐渡から送られたそうです。
☆。。。。。。☆。。。。。。☆
佐渡のお地蔵さまを、インターネットで検索すると
まずヒットするのが、真野・梨の木地蔵。
赤泊線で、真野から 15 分ほど入った静かな山の中にあります。
周りには一面に、小さなお地蔵さま達
入口には、笑顔の夫婦地蔵も。
本尊の石地蔵は、漁師が海中より拾い上げたものを、
ここ、梨の木(地名です)に移し、納められたそう。
この地蔵さまは、子供の病気平癒を必ず叶えてくれる‥と言われ、
願かけに訪れる人が絶えません。
願いが成就すると「身がわり地蔵」を持参するのだそうです。
何千何万ものお地蔵さまが、境内せましと並んでいます。
祈りは届いたのでしょうか。
花のお供えが絶えない、梨の木地蔵。
人里離れた山の中なのに、何故かいつも人の気配がする空間です。
貧しかった人々の、いつも祈りの傍にあった慰めの仏さま。
今も、大切に守られているお地蔵さまばかりでした(^^)/
2月末日、うるう日。
風も無く、陽ざしが穏やかな日でした。
青と白が輝く佐渡が島。
気分はさわやかな春。
ちょっとお出かけ・・・・。
真野湾は波静かな日、青く、遠く金北山を望む。
少し山に近づきました。
国府川近く青空に、雪の残った大佐渡の山々が見えました。
長かった冬の色と変わり、明るい春の空色になったようです。
冬のおとなの遠足 赤泊・三川・腰細地区を訪ねる。
令和2年2月20日 参加者は‥30名
うす曇り サンライズ城ヶ浜を出発
今日のコースは、上り坂が長く続くそうですので、
いつも以上に、足腰のストレッチをしっかり準備しました。
赤泊・徳和には、榧(かや)の巨樹が多く残ってる地域ですので、
おとなの遠足で、見て廻ります。
さあ、
風雨に耐えた古木の威容は、風格と凄みを感じます。
この木の下に立ち、会えただけでも感動でした(^-^)
散歩コースの途中にも、まだ榧の木が残されています
個人のお宅の庭先に、保存されている榧の木があちこちに。
榧の木を守るため、道を少し曲げて通ります。
何本もの榧の木を見ながら、上って行くと
大椋(おおくら)神社に到着。
樹齢600年を超えると伝えられる、境内の榧のご神木。
虫に喰われたり、大風に枝を折られたり
傷跡がコブとなって、木の肌に残り
スックと立つ榧の大樹に、長い時間の歴史が見えました。
この境内で行われる徳和祭りは、(秋 9/15)
大獅子が、この急な階段を駆け上るという
勇壮で、迫力と熱気あふれるお祭りで知られています。
南佐渡は温暖で、榧の木が育つ環境にあった地域。
榧の実は、油分が豊富で栄養価が高く
香ばしい美味しさの木の実は、おやつになったり、
集めて食用油を採取したり、と重宝されたそうです。
貴重な保存食でもありました(^-^)
この榧で碁盤を作ると、年輪の目が細かいので、
手に優しく受け止めてくれ、長く碁を打っても疲れないのだそうです。
マニアにとっては、超~高級品として憧れの碁盤。
庶民レベルでは、榧の木は油分を含むため汚れが付きにくく、
まな板として、利用されています。
大切に保護されるということには、訳があったのですね。
てくてく
おけさ柿の、冬剪定。
粗皮削りと言われる作業で、
木の表皮に棲み込んだ害虫を、剥ぎ取ります。
暖冬のため、例年より順調に作業が進んでいるそうです。
てくてく、さらに てくてく。
ここは、味噌舐め地蔵
小さなお堂の中には、赤いよだれかけをつけ、
味噌を塗られれたお地蔵さまが。
お口に味噌を塗って、
長寿とゆったりとした暮らしができるようにと、お願い。
草木地区で守られているお地蔵さまも、愛されているようです。
午前の部は、ここまで。
赤泊観光センターに戻り、昼食休憩。
お昼食は、ボリュームたっぷりのカツ丼と海老丼。
活力を補給しました。
さて、午後の部に出発。
狛犬が可愛いかったので、アップで。
境内には古木が、ここにも!(^^)!
腰細と山田地区の、有志の方々の寄付で建築された能舞台。
本舞台と後座からなり、舞台の鏡板に松の絵はなく、楽屋も鏡の間も付属していません。
常設の地唄座があり、仮設式の橋掛かりは佐渡で唯一の完全な形を残しています。
この地の能楽は、潟上・西三川より伝えられた宝生流といわれ、
佐渡の能楽と舞台の特徴を今に伝えている‥とあります。
当地の油分を含む榧を用いてあり、土台の腐食を防ぐ作り。
佐渡には、多くの能舞台が保存されていますが
実際に見て、ここの舞台は本当に美しい姿でした(*^^)v
この高台は、本間の殿様の三川城跡であり、
赤泊小学校の旧三川分校が、建っていた場所。
今日の遠足は、およそ8km 13,700歩。
地域で守ってきた財産である大樹を見て
榧の木で始まり、榧の木で終わりる一日でした。
今、日本国中が大変なことになっています。
横浜港に寄港した、クルーズ船ダイアモンド・プリンセスに端を発した
新型コロナウイルスが、感染拡大しホットスポットとなりました。
全国に感染が広がり、
学校の卒業式が中止・休校に。
スポーツや音楽LIVEイベントの中止‥なども、
異例な変更や日程変更と、緊急事態が続いています。
佐渡市でも、ひな祭りのイベントや、冬の味覚カニの食イベントなども。
毎年公演を続けて、今回で29回目となるはずだった、
「島に春の訪れを告げるむら芝居」も、残念ですが 11 月まで延期となりました。
稽古を重ねた創作民話劇の、発表会目前でのことでした。
佐渡でも注意が必要です。
危機感を持ちながら、親も子達も企業も対応に追われているようです。
とは言え、2月も間もなく終わり。
暖冬の影響で、あちらこちらから早春の便りが聞こえてきます。
早春の香りと言えば、フキノトウ。
天ぷらにしたり、蕗味噌で、香りとほろ苦を楽しむことに。
ざくざくと刻み、ふきのとう噌味は早春の味 (^-^)
余談ではあります、この器は30年余り前から我が家の食卓にあるもの。
波型の切り口が一致しないと、丸い形の蓋となりません。
なかなか合わなくて、クルクル回して ^^)
面倒ですが、遊びがあって面白く大切な器です(^^♪
佐渡はフルーツが豊富
友人が育てた無農薬のキューイは、皮のまま齧ってもイケます。
佐渡産の牛乳で、ヨーグルトを作り
デコポンとキューイを添えて、いただきます。
ぜ~んぶ佐渡産の安心デザート(^^)v
おいしい、おいしい。
やさしい酸味と甘みで、売っているのとはチョイと違いました。
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。