佐渡おとなの遠足
8/20日 (雨降りでした)
尾崎紅葉の「句碑」を巡る。
バス遠足を、振り返ります。
尾崎紅葉は、新聞連載「金色夜叉」を発表後、
胃病と神経衰弱を病み、
それを癒すための「煙霞療養の旅」に出て、佐渡に。
(新鮮な空気と美しい自然の中でゆっくり療養すること‥そうな)
明治32年7月8日から8月11日まで、佐渡に29日間滞在したそうです。
到着したその日に、両津・夷港のシンボルの松に「村雨の松」と命名。
その時、売れっ子作家の紅葉は32歳。
今回の8月は、暑さが厳しい時なので、
「涼しく、ゆっくりと巡りましょう」との提案で、
バス遠足が実現しました(^^♪
紅葉さんと言えば、小木の芸妓お糸さんとの
ロマンスの別れ際に、詠んだと伝えられている一句
汗なんど拭いてもろふて別れけり
を、知っているだけなのですが‥。
一日をかけて、巡るほどの数の句碑が、
佐渡の各地に残されていることに驚きました。
スタートは、Ryokan 浦島さん の庭にて。
はるばると越の松原一休み
季語は何? の 質問が出ました。
「あら、そうですね~」 一同が ? ? ?
しかし、人材が豊富なのが佐渡おとなの遠足。
会員の中には、元ベテランガイドさんがいらして、
“一涼み” という説もありますよ。夏では(^_-)
野呂松がのそりと出たり夏の月
十王堂前のお地蔵さまは、ほぼ等身大。
佐渡の方なら、見慣れた風景です。
松風をいただく汗の額かな
自然石に刻まれているため、はっきりとは読めませんでしたが‥
月涼し橋をかけたやと歌いつつ
ECアースセレブレーションの公演が、夏の小木で開催される城山公園。
数日前に公演が終わったばかりの城山は、
芝生がきれいに刈られ、とても美しい緑の広場でした。
ここ城山公園で、お弁当を広げる予定でしたが、
雨降りのために、
急遽、新築されたばかりの小木公民館をお借りして、
休憩させていただくことになりました。
午後は、「ごんざや」旅館から再開。
羽茂・村山にも、同じ句碑があります。
汗なんど拭いてもろうて別れけり
羽茂に移動し、菅原神社へ
鶯や十戸の村の能樂堂
(後に推敲され、十戸の村の能舞台へ)
その後は、
羽茂渡津神社と羽茂川沿いの句碑を巡りました。
佐渡にして羽茂川の鮎 愛(は)しといえど 旅をいそぎて 一つだに見ず
渡津神社近くの羽茂川には、鮎を突いて遊んだとの看板がありました。
散策した羽茂川沿いには、
個人の方が建てられた、文学碑が並んでいました。
羽茂は、藤川忠治先生が「歌と評論」を創刊された地でもあり、
俳句、短歌を詠む方が多く住む地域です。
その数およそ30基。
暑さを避けてのバス遠足の計画でしたが、雨の遠足となりました。
バスに乗って、降りて、乗って、降りて(^^♪
新潟交通の大型バスで巡った、今回の参加者は38名。
小木の城山や羽茂を歩き、13,800歩。
とにかく、初めて知ることばかり。
教科書でしか知らなかった、尾崎紅葉さん。
参考資料を用意し、遠足コースを設定して下さった
佐々木さんから、紅葉さんの人となりや、
エピソードを、たくさんご紹介いただきました。
佐渡 一ノ宮 渡津神社の朱色の鳥居前にて、
記念写真を、この日のお土産に一枚。
夏の佐渡滞在中に、中央からの文化人として盛大な接待を受け、
恋をした若い紅葉さん。
人間らしさに親しみを覚えた、遠足でした。
今日から二学期が始まり、通学路に子供たちの元気な声が戻ってきました。
☆。。。。。☆。。。。。。☆
旧歴の7月23日24日に、行われてきた地蔵盆の行事があります。
街角のお地蔵様にお供え物をし、
町内の安全や、子供たちが健やかに育つことを願っての伝統行事です。
23日朝には、当番さんとお堂の清掃。
そして夜には、地蔵堂に集まりお念仏を唱えました。
トントンと太鼓を打ち、チンチンと鐘を叩き念仏を唱えます。
来年は初めて、お世話係を担当しますので、
準備の仕方を教えていただきました。
高坏に20個のお団子2組。 10個のお団子を5組。
飾りの幕を張り、お花・ロウソク・線香・お菓子・山盛りのご飯・お水など。
24日 朝には、お坊さまを待ちます。
持参された御幣・お飾りしていただき完成。
お団子の手配・お布施・お花の準備も忘れないように。
メモメモ( ^^)
子供たちの健やかな成長を願っての地蔵盆ゆえに、
お菓子の準備もするのだそうです。
わが集落は、家の軒数が年々減ってきて、
年寄りばかりが住む街並みとなりつつあります。
若い世代の参加が少ないのが現状です。
身近に寄り添い、
住人の祈りや願いに耳を傾けてくれるお地蔵様。
「続けられる時まで、地蔵盆を続けられるといいね」
お道具を片付けながらの会話でしたが、
さて、いつまで続けることが出来るのだろうか・・・。
夏休み終盤になってきました。
佐渡では、まだ、お祭りが続いています。
どこのお祭りを観に行こうか、いつも迷うのですが、
今年も、岩首の竹灯りの集いに行ってきました。
岩首には、多くの若者が集まります。
廃校になった小学校に、島外からの学生ボランティアを受け入れ、
竹林やビオトーブの整備を行っています。
佐渡のファンを育てているのは、大石さんを中心とした地域に住む人達。
いつも、ご陽気なお爺さんコンビ。
第13回目の竹灯りのイベントを、学生さんと設営し撤収まで行います。
その他には、
小木湊祭りの花火大会へと向かう、浴衣姿の若い方を見かけましたし、
安寿塚のある畑野では「安寿天神祭り」の準備をする友人達の姿が!(^^)!
地域に伝わる祭りを守るリーダーとして、
裏方の仕事に、汗を流している姿をお見かけました。
「いいね」をたくさん贈りたい(^^)/
☆。。。。。。。。。☆。。。。。。。。。☆
さあて、本題です。
何度も作ってみるけれど、なぜか上手くできないものが、
《茄子の塩漬け》
毎年の夏の宿題として、取り組んできましたが、
トライとエラーを繰り返しています。
やわらかい新鮮な茄子で塩漬けしても‥色が茶色に変わる(>_<)
漬かるまでに時間がかかり過ぎ、なかなか水が上がってこない(>_<)
ミョウバンと塩で、塩水を作り‥漬けてみても‥うまくいかない(>_<)
市販の漬け物用の粉でまぶしても‥美味しくならない(>_<)
私の茄子漬けは、何故か、納得の味に辿りつけていません。
話をじっくり聞いてくれた先輩は、
茄子を届けてあげるから、それで漬けてみたらと、ニッコリ。
茄子ですが‥、とりたてて違いは?
ふつうの茄子です(^^)/
ボールの中で、茄子をよく振りました。
やわらかい、なす漬けが完成(^^)/
なんで、なんで?
これを作りたかったの~(^^♪
“素朴な茄子の塩漬け”、どこが違っていたのか?
狐につままれたような気分です。
先輩によれば、違っていたのは素材の茄子のみ。
種から苗を起こし育てた、自家製のやわらかい茄子とのことです。
茄子と塩だけの一夜漬け。
雑味のない塩味と食感が、母の作ってくれたものとそっくり!(^^)!
特別な技術がなくても、素朴な家庭の味を再現できました。
一緒に、いただいた枝豆で
甘さが自然!(^^)!
新鮮な素材の、塩茹でえだ豆。
料理とも言えない、なす漬けと枝豆。
いいな、佐渡暮らし。
大型の台風10号が、ゆっくりと北上しています。
日本中が台風の進路に影響を受けて、対応に追われています。
大雨や強風の警報に、お盆恒例の夏祭りの中止が決まったそうです。
JR西日本は計画運休・15日の甲子園の野球も順延。
お盆の休暇を早めに切り上げ、計画を変更する人も多いとか。
☆。。。。。☆。。。。。☆
羽茂のA co-op羽茂店に寄ってきました。
メインのコーナーに並んでいたのが、佐渡・羽茂産、芋焼酎「どべら」
羽茂地区の有志の農家さんが育てた、さつま芋「紅あずま」を使って、
芋焼酎「どべら」が作られました。
今年で、4年目の取り組み。
「どべら」とは、羽茂の方言で、「ほら吹き」「いい加減」という意味。
“酒好きが自由気ままに作った焼酎”との思いで、名づけられたそうです。
8/1から、Aコープ羽茂店のみで販売中(^^)/
さつま芋の種類や配合の工夫を重ね、紅あずま100%に。
「ロックで美味しくど~ぞ」
有志の農家の一人である、叔父からいただく貴重なお酒です。
知り合いの農家さんも参加しているため、
応援の気持ちもあって、毎年、私たちも何本か購入しています。
“山の日”の、振り替え休日。
国民の休日として馴染んだような、まだ‥のような。
ですが、
休日が増えることは、OKということで(^^)/
☆。。。。。☆。。。。。☆
「今日、孫とじゃが芋堀をするつもりなんだけれど‥。
畑を整理したいと思うので、梅漬け用に畑に残した赤紫蘇を始末したい‥。
よかったら、使って貰えるかの~」
電話をいただきました。
葉をちぎって、よく洗い準備。
赤紫蘇のエキスを、10分間くらい、煮出します。
搾ってから、氷砂糖を加え溶かしました。
濃くて、たっぷりのエキスが取れました!(^^)!
鮮やかで、さわやかな紫蘇ジュースに変身。
水や炭酸を加え3倍くらいに薄めると、美味しいジュースに。
みんなで楽しむ、夏の飲み物が完成。
小量ずつ、お友達にも飲んでもらいます(^^♪
ご好意を、ありがたくいただくことばかりなので、
時にはこちらから、好意をお届けしたり、押し付けたりしています。
☆。。。。。☆。。。。。☆
梅の天日干しは、順調に終了しました。
梅紫蘇もよく乾いたので、ミルにかけて“ゆかり”に。
ほど良い塩加減と、赤紫蘇の色あいです。
紫蘇の香りが、食欲を呼び起こしてくれます(^^♪
梅干し・梅シロップ・梅酢・ゆかり作り。
晴天に恵まれて、紫蘇と梅仕事を終了できました。
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。