朝夕に、ようやく秋の気配を感じるようになってきました。
赤い宝石 ハマナスの実
小さなかわいい花 名前は ?
にらの花 アクセントに揺れる黄色
はまなすの実
夏の終わりの頃
ハサミを振り回して 散歩中
庭を歩く時には、足下に注意ください !! カニが散歩中の時があります。
清楚な白 蕎麦の花
なす紺 なす紫
これは何の花?
唐辛子 レッド
毎日の暮らしの中で、目にしている自然の色。
植物は生命感にあふれ、花を咲かせ、実を付け、枯れてゆく‥。
自然の色は、その時ごとに美しい。
雨に濡れれば植物は色を濃くし、嵐に耐える強さと逞しさももっています。
薔薇や百合の美しさとは異なりますが、癒やしの力をもっていて好きだな~ (^-^)
9月半ばとなっても、佐渡はまだ暑さが続いています。
真野・新町 “ ゆいの間 ” で、先輩ボランティアが先生となって、佐渡の郷土食 “ 笹団子 ” 作りを教えてもらえることになりました (^-^)
笹の葉で 包んで
団子の生地は上新粉ともち粉、餡を中に入れます。春に摘んで保存しておいたよもぎを、たっぷり混ぜ込むと、よもぎの香りと緑色がよみがえってきます。
三枚の笹の葉で団子を包み、イグサでくくります。
蒸し器で20分
昔、むか~し、婆さんや母が楽しそうに作っていたのが “ 笹団子 ” 。
農作業のおやつとしたり、雨降りで外の作業が休みと言うような日に、作ってくれた思い出があります。 くるくると‥アッという間に笹の葉に包んで、可愛い形の団子になったものでした。
温もりのある笹団子を作れるお婆さんに、いつか私もなりたいな‥と、密かに思っていました。
“ ゆいの間 ” のスタッフには、主婦業として一芸を持っている人が大勢ます。
裁縫が得意で、服のサイズ直しOK。 漬け物を、あれこれ工夫して楽しませてくれる人。
お赤飯やちらし寿司・イカ飯を美味しく作る人、ゆいの間をいつも綺麗に整頓してくれる人。
今回のような笹だんご教室は、願ってもいない機会です。
佐渡にはその他にも郷土食に、“ おこし型 ” “ やせうま ” などの団子もあります。
蒸しあがりを待つまで、お昼ごはん
どの料理にも、その人ごとに工夫やコツがあり、持ち寄った料理を食べながら、教えてもらうことばかり (^u^)
この日持ち寄られたのは、炊き込みご飯・イカ飯・いなり寿司。茄子の漬けもの・ゴーヤーの佃煮・きゅうりや生姜の酒粕漬け・ぬか漬けなど‥盛り沢山。
ごく普通の家庭の味、母の味が集りました。
「これはどういう風に作ったらいいの?」 新鮮な驚きの時もあり、納得の時もあり ?(^O^)
すぐ隣に、丁寧でやさしいお母さん先生がいてくれます。
賑やかなお昼ご飯の間に、笹団子が蒸し上がり、10個ずつのお持ち帰りとなりました (^。^)y
久しぶりに I ターン、U ターン仲間との食事会。
今回は、蕎麦打ち名人によるプチ蕎麦の会となりました。
いざ そば粉を量って
丁寧に 水まわし
蕎麦の玉
丸く ま~るく 延ばし
延ばして ◇に変身
きれいな仕事 切る
さらさら 蕎麦のでき上がり
手際よくきれいに打つ、蕎麦打ち名人の技に歓声を上げながら見学。
お待ちかねのお蕎麦が完成 (^。^)y
蕎麦打ちの道具、蕎麦粉、自作の蕎麦つゆ、辛み大根、ネギ・・・・名人こだわりの品ばかり。
ワイワイガヤガヤ、とても美味しくいただきました。 その後は、飲んで、しゃべって ?(^。^)
茹でたてを いただきま~す
われわれのために、気持ちよく会場を提供していただいただけでなく、たくさんの飲み物・お料理を振る舞って下さった、ときわ館の女将さんに感謝しながらの、楽しいひと時でした。
9月7日は、羽茂地区の秋祭り。 乙祭りとも呼ばれています。
日中は秋植えの白菜、キャベツ等の野菜苗が“ 市 ” に並べられ、
夜には草苅神社で、奉納能が舞われました。
杜若 ( かきつばた )
奉納能 番組
かきつばたの精
地
地元の方々が、熱心に稽古を重ねての奉納能。
萱ぶきの屋根が美しい 能舞台
開演の前に能の会の代表から、奉納能を続けることの意味、感謝が述べられました。
会を支えてこられたお仲間が、この一年間に3名お亡くなりなったことが報告され、ご冥福を祈って舞う会でもありました。 静かな夜の、静かな能の会でした。
大雨の警報が出される日が二日間続いた後、朝夕は少し秋の気配がする様になってきました。
田んぼは 黄金色
稲がやわらかい曲線をみせて、穂を垂れています。
実りの秋。田んぼは黄金色。
稲穂が波うち、風が国仲平野を通り抜けていきます。 畦に近づくと稲の甘い香りがします。
おはようがざいま~す アレッ?
“ おはようございま~す !! ”
忙しそうに働いている、お母さんに元気に思わずご挨拶。
アレッ? な~んだ。
でき過ぎ、デス。 案山子のお母さん。 <`ヘ´> (>_<) (^。^)
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。