9月29日、真野新町に、「百姓庭園 十志古庵」 が開園しました。
“ 百姓庭園 ” と名付けられた 庭に佇む庵、十志古庵には能舞台を思わせる舞台がしつらえられています。 今日はその?落とし。
ご主人の大鼓、奥さまの笛に仕舞いが加わり、お祝いの宴が厳かに静かに始まりました。
百姓‥いい言葉なのにあまり使われなくなっていますが‥どうしてだろうねぇ‥。
この庭園を造られたご夫婦は、この言葉を選んで、自分の庭園に名づけました。
地元の方が休憩所として、いつでも寄れるようにとオープンにされます。
能が演じられると、おしゃべりがいつの間にか止み、みなさんが舞台に注目。
この舞台は音が自然に響き、演奏者にとってすごく楽しい空間だそうです。
芸達者が次々と舞台に立ち、百姓庭園の開園を盛り上げました。 ライブは楽しい !!
この舞台で、これからもライブが計画されていくように‥期待しています (^。^)y-.。o○
佐渡産コシヒカリの稲刈りが、毎日続いています。
今週は晴天が続き、順調に収穫が進行中 (^_^)/
作柄は上々で、おいしい新米がもうすぐ食べられそうです。
「 若いモンに任せてある 」 と言いながらも、爺さん・婆さんも田んぼに鎌を持って参上。
稲の色づき具合や田んぼの様子、順調に進む収穫作業などを、楽しそうに見守っています。
農家にとって、稲刈りは最も大切なイベント。
お年寄り達も現役の時代に戻ったように、皆さんが “ハイ ” な気分になっているよう です。
秋晴れをこの時の為に集めてくれたような、青空。
慣れない外仕事ゆえ、身体にはキツイ毎日でしたが、4日間の手伝いを無事に務める事ができました。
五割以下に農薬を減らし、五割以下に化学肥料を控えた(五割減減)のお米が、 佐渡の認証米。
“ 朱鷺と暮らす郷米?” ?佐渡産コシヒカリの稲刈り、終了。 (^_^)/
稲作にかかる経費と収入については、収支のバランスがいいとは言えないのが現状。
‥ではありますが、家族が安心して食べられる主食を自分で作り、確保できることは農家ならではの幸せ。
朱鷺を守り育てるのが第一目的かのように、減農薬・有機農法がとり上げられがちですが、手数はかかっても、コストはかかっても汗をかいて土や水を守ること。
誇りをもって、農家では仕事をしています。
水路を覗くと、ドジョウがピクピクと動き、水面の電線が揺れて見えました。
とんぼが金色・銀色に羽を光らせ飛び交う風景、豊作を祝ってくれているよう。 (^o^)丿
長く厳しい夏でした。 やっと来た秋にホッとしています。
しばらくぶりに、柿畑を覗いて見ると
充実してきた柿の実を支える為に、竹の杖で枝を支える作業中でした。
柿の木は枝が裂けやすく、絶対に木に登ってはいけないと注意されています。
柿の実がタワワに付いて、風に枝が揺れたりすると重さで折れてしまうことも‥。
そこで、横からもサポート。
弱い枝に優しく、優しく、木を管理。 長さの調節と自然素材の竹は大活躍していました。
晴天に恵まれて、佐渡では稲刈りが最盛期を迎えています。 稲刈り3日目。
青空のもとで、収穫に励む姿が、あちこちの田んぼに見えます。
私達も手伝いに。 重い籾袋を軽トラに運ぶのは少しキツイけれど、楽しい作業です。
作業の合い間に、畦を歩くと、たくさんの小さな花が揺れています。
名前を知らない花もありますが、清楚で純粋な色ばかりです。
お花屋さんの店先に並ぶことはたぶんないだろう‥‥ ?野の花たち。
よ~く見れば可憐。可愛い形。 見飽きることがありません (^o^)丿
羽茂で、地元で作った野菜や海草・くだもの・手作り品などを集めた、お店があります。
お店の名前は、「手づくりハウス風間」。
品物を持ってくるのは、近くの農家のお母さん方。
自分の家で出来た物をお店に預け、お客さんに買ってもらいます。
手作りハウス風間のご主人によると・・・
佐渡には古くから近くの者同士、何かの折に農産品などを物々交換し、分け合ってきた習慣があり、お裾分け・お返しという形で生活の中に根づいています。
頂きものをしたら、お礼のお返しは何にしよう ‥‥ 悩むところです。
お店誕生のきっかけは、隣で美容室を開いている奥さんのお客様からの声からだったそうです。 美容室のお客様は、地元の農家の主婦がほとんど。
「ウチでは今年、大豆が上手く作れなかったなかった‥何処かに無いかのう‥」
「ウチでは白菜が食べきれん‥誰かもろうてくれんかねェ‥」
農家は、育てた野菜は無駄にしたくない。 誰かに食べてもらえたらと思うし、自分のウチに無いものは、近くの人が作った安心な物を分けて欲しいと思う。
当初は、「 ○○さんが、◇◇を欲しがっているけど、貴女のところには有る? 」 ‥など、髪を整えに来られたお母さん達との、情報交換からだったとか。
そして、本当の意味での 「 地産地消 」 を 実践するお店が誕生し、今は地元の皆さんが活発に利用するお店となっています。
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。