今年初めての、よもぎ摘みに行ってきました。
芽生えたばかりの、柔らかい蓬が出ている頃です。
丁寧に、新芽を摘みます
きな粉も、定番ですが
今日は、粒あんでいただきます。
たっぷり香る、若草の摘みたてで、
初の《よもぎ餅》つきあがりました。
子どもの頃のこと、
お婆ちゃんと一緒によもぎ摘みをするのが春の楽しみでした。
指先で揉むと匂い立つ清々しい香りや、葉の裏の綿毛のようす、葉の形など‥
蓬の見分け方を教えてもらいました。
そして、翌日には、
家族みんなで賑やかに餅をつくことも、楽しいイベントでした。
春のご馳走、風味豊かな《草の餅》
爽やかな色あいと、シコシコした食感も (^^)v
祝い事、季節の祭り、親戚の集まりなど、
事あるごとに、赤飯・団子・お餅など、餅米が好きな家でしたので
お餅には、大切にしたい楽しい味の思い出ばかり(^O^)
これからは、蓬摘みにせっせと山の里に通います。
よもぎ餅ファンの方、お待たせ致しました(^_^)
晴れて、風もなく絶好の種籾蒔き日和。
手伝いに、行って来ました。
さて、準備万端 !(^^)!
種蒔きトレーを並べて
作業を始めれば、2 時間ほどで完了。
人手が揃えば、段取りよく進みます。
この後、シートを被せて保温しながら、苗の成長を見守ります。
気分を新たに、今年の稲作りがスタートしました。
隣の田んぼでは、機械で畦作り中でした。
働きぶりが目覚ましい、機械の動力(^O^)
田んぼ造りで大切な畦作りは、一番に労力のいる作業です。
高齢のために、農業ができなくなった家が多くなり、
この田んぼも稲作を委託して、やっと継続できているそうです。
大切な稲作を守るために・・・。
山菜の季節がやってきました。
いただいた、《こごみ》
クセが無いので、サッと茹で、ゴマ和えや天ぷらで(^O^)
柔らかくまん丸の曲線がかわいい、山菜。
深い緑の色の茎が、美しく思えて
食べる以上に、うれしく眺める春の色。
日当たりのいい砂浜で、よく見かける浜大根。
野生化した大根だそうで、食べることもできます‥が、
サラダのお皿に添え物として置いたり、生け花として眺めたりして楽しんでいます。
栴檀(せんだん)も山椒も、双葉より芳し
ちゃんと存在感を示して、いい香り。
佐渡の海岸沿いで、見かけます。
芽生えの頃から楽しみ。
朱色の軸が独特な、芍薬(しゃくやく)
つぼみの頃の、今がかわいい
白い小花が、どの花とも引き立てあうので花瓶に出番の多い雪柳
明るい色が、元気をくれます
綿毛も、春風を待っているところ
たんぽぽの ぽぽと綿毛の たちにけり
(詠み人は知りませんが‥) ぽぽの繰り返しが好きな句。
半日は日陰になるような、畑の傍で咲いています。
こちらは、我が家の畑で。
トウが立ってしまった後も、眺めていたら
菜の花になった、スティックブロッコリー と 白菜。
ハボタンも、いよいよおしまい。
冬の玄関で、長く楽しめました。
季節が移りかわる時。
足元に咲く、素朴な花たち。
特別ゴージャスではないけれど、畑の片隅の平凡な美しさがイイな。
両津への納品の途中に
春の一瞬だけ現れる、雪形の白いキツネが見えました。
翌日は、相川へ
金山の駐車場にて
江戸幕府の財政を支えた、佐渡金山。
金の鉱脈に沿って、人力で露天掘りを続けた結果、山の頂上部がVの字に割れてしまった‥。
佐渡金山のシンボル《道遊の割れ戸》を仰ぎ見ての、桜を訪ねました。
軽やかな花びらや、おだやかなピンクの桜の色は
気持ちを慰め、心を明るくしてくれる不思議な力があるよう。
今年は、用事で出かけた先で、車でスゥーと通りすぎるだけの
ドライブスルーの花見がほとんどでした。
春祭りのない佐渡の、春の1ページが過ぎていきます。
田んぼにトラクターが入り、水が張られてきました。
畑でも、とても忙しそうな人の動きがみえます。
おだやかな陽ざしに誘われて、水芭蕉を訪ねてみました。
元は田んぼだったところに、荒れるよりは花をと、植えられたのだそうです。
ゆずろ公園近く
山の中の、水が澄んだ湿地一面に水芭蕉
「三日前にも来たのよ、
白い花がみごとだったので、今日は友達を誘ってね」
「たった今しがた、朱鷺が鳴きながら飛んで行ったところでね」
「下から見上げたら、羽がとっても美しかった~」
・・・と、楽しそうな二人連れ。
車を降りてから、水芭蕉の沢までの途中には、急な登り坂はありますが
明るくて、迷わずに行ける道があります。
道の傍には、咲き始めたばかりの山野草が可憐にちらほら。
「この奥に、カタクリが咲いていますよ~」
明るく声をかけてくれて、
「ごゆっくりねぇ」と、先に帰って行かれました。
木々の若葉も、少しずつ淡い緑色になりはじめたところ。
葉っぱの形や色も、可愛い芽生えの姿。
どの花も、群れずに一輪。
凛として咲いています。
花の名前や木のことを、もっと知っていればなと思う時です。
2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。